「お姉ちゃん…。」
聖香が廊下の奥から静かに歩いてくる。
聖香…
聖香は、あたしの妹。
あたしのことを一番よく知っている。
聖香だったら…
ワカッテクレルヨネ?
「せ、聖香ぁ…!おかしいと思わない?聖香は分かってくれるよね?あたしは間違っていないよね。お母さんもお父さんもおかしいよね?」
あたしは涙を流して聖香の顔を見る。
聖香は、澄んだ瞳で、あたしを見つめる。
聖香の唇が開く。
「お姉ちゃん…お姉ちゃんが、間違っている。」
頭を鈍器で殴られたようだった。
聖香の、静かで力強い声が頭の中で反響する。
ああ…どうして…!?
なんでみんな、狂っているの!?
「お姉ちゃん、あたしはお姉ちゃんを尊敬していた。…それなのに、なんで…っ!!」
パーンッ!!
大きな音が響く。
聖香の頬が赤く染まる。
聖香の右目から涙が一筋溢れた。
あたしの目からも涙が溢れる。
みんな、みんな分かってくれない。
最低。
あたしは、聖香の白い頬を叩いた右手を後ろに回す。
こんな、最低な家族なんて…
あたしのことを分かってくれない家族なんて…
狂っている家族なんて…
いらない。
死ンジャエバイインダ。
後ろに回した手で、傘を掴む。
新しく買った重い傘。
死ね、死ねっ…!
あたしは、何も考えられなくなった頭で、ただ一言を繰り返す。
死ね。
傘を振り下ろす。
ガンッ!!!
「お母さんっ!?」
聖香の悲鳴が響く。
あたしの手に嫌な感触が伝わる。
「っ…う!」
お母さんの頭から…血?
ハッとした。
嘘っ!?
あたしがやっちゃったの!?
サーっと頭が冷めていく。
お母さんは倒れ込んだまま血を流し続ける。
「救急車!!」
聖香がスマホを操作する。
お父さんが白いタオルを持ってくる。
「あ…あ…」
手が震えた。
あたし…あたし…
あたしは震える脚を動かして、外に走り出た。
「待ちなさい、聖理奈!」
お父さんが呼ぶけど、振り返らない。
今更冷静になった。
「ああ…もうっ!」
あたしは、学校の方面へ、ふらふらと戻ってきてしまった。
どうしよう…どうしよう…
あたしの運命は、SNSの二つのアカウントに荒らされて、狂ってしまった。
暗転してしまった。
なんでなの……?
あたしの暗転した運命は、止まることを知らない。
一度、転んだら、戻れない。
「あれ?松本さんじゃん!」
皮肉を含んだ声で誰かが呼びかける。
「愛香…」
「大変だね、松本さん?」
こいつ…っ
あたしのこと煽ってんの?
なんなの、こいつは。
無性にムカついた。
「ふざけないでくれる?ぶーちゃんごときが!あたしは、あのくらい叩かれただけじゃ痛くも痒くもないっつーの!」
「きゃっ…」
あたしは愛香の襟元を掴んで揺さぶった。
右手で平手打ちをする。
でも、愛香は一声も発しなかった。
マジ、ムカつく!
「そんなことしちゃっていいの…?」
その時、愛香がニヤッと笑った。
「は?なんのこ……と……」
周りを見ればすぐに分かった。
集まった野次馬たち。
みんな一様にあたしにカメラを向けていて。
「うわ…マジじゃん。」
「聖理奈って、マジでこの子のこといじめてたんだ。」
「ひっど。」
「警察に言う?」
おじさんから、子持ちの主婦まで、いろいろな人があたしに冷たい目を向ける。
あたしに羨望の眼差しを向けていた女子高校生たちさえ、あたしを氷のような目で見つめる。
「い…いやっ……!!」
あたしは、駆け出した。
なんでなんでなんでなんで!!!
なんで、みんな、いじめられっ子に味方するの?
どうして、いじめっ子を責めるの?
おかしくない?
なんで?
チーターがガゼルを食っても何も言わないのに。
カマキリがバッタを食っても何も言わないのに。
上司の無理な要求も、何も言わずにやるのに。
あたしが、麗華姫にいじめられても、みんな知らん顔だったのに。
この世は、弱肉強食じゃないの?
人って、立場が自分より低ければ、誰だって見下すのに。
どうして、どうして、イジメはいけないの。
どうして、あたしが責められなくちゃいけないのよ…!?
「はぁはぁ…!」
何本もの狭い路地を滅茶苦茶な方向に走り、追ってくる人をまいた。
あたしは、肩で息をした。
その時、上(?)から、人が落ちてきた。
ん?
人って上からくることあるの?
落ちてきた人は綺麗に着地し、あたしと向き合った。
「一人レースお疲れ様。」
うちの高校の制服を着た女の子だった。
真っ黒の長い髪の毛をかきあげる。
「八神………!」
誰でもいいから助けて欲しかった。
あたしは八神にすがりついた。
「八神!八神…!あたしを、助けて!」
夜風の暗い瞳を覗き込んで言う。
八神は、頷いた。
「うんうん、いいよ。この世の苦しみから解放してあげる。」
よかった!
あたしに、仲間がいた。
「や、八神はさ、おかしいと思うよね。なんでいじめっ子が全て悪者って言われなきゃいけないのかって思わない?」
八神なら分かってくれるはず。
もし、あたしが麗華姫たちのグループに居られなくなったら、八神と行動しよう。
そして、八神を奴隷として使うんだ。
八神は、元々いじめられていた身分なんだから、あたしは逆らえないはず。
八神は、奴隷。
いつか、麗華姫を超えて、スクールカーストの頂点に立つんだ!
ふふふ、あたしは、無敵だよ。
表面上では愛香と仲直りして。
水面下でいじめるんだ。
次は、もっと、うまくやる。
変なところでボロを出さないように、静かに、静かに、やるんだ。
八神はニコリと笑った。
「どうかな?」
その時、路地に愛香が駆け込んできた。
「夜風!間に合った?」
「よゆーよゆー。」
は…?
なんで、こいつらが親しくしてんの?
ふざけないで。
じゃあ、グルだったの?
こいつら…!
「ふざけんな!」
夜風に殴りかかる。
しかし、その手を押さえられて、締め上げられる。
「いまから、あんたを『弱者』とかいうやつにしてやるよ。」
八神が、耳元で囁く。
は…
なに?なに?弱者って?
あたしが弱者なわけないじゃん?
「何言ってんの?あたしが弱者ぁ〜?ふざけないでくれる?あはは!」
もう、面白すぎる。
笑えてくるんだけど〜。
あたしをどうやって落とす気?
SNSの件はちょっと油断しちゃったけど?
あんなのどうってことないし。
誰があんな書き込みしたのか、突き止めて、訴えてやるし。
「なに、笑ってんの?」
愛香があたしを睨む。
こわ〜い!
あっは。
「ね、マジで笑わせないでくれる?あんたたちがあたしを弱者にする?ぶーちゃんが?無理無理!あはは!復讐かなんかのつもり?ほんっと面白いね。」
復讐…。
そうか、復讐のつもりなのかな?
あたしへの?
でも、残念だったね。
無理だよ。
あんたなんかに…!
「その根拠のない自信、どこから湧いてきてるの?」
愛香が言う。
愛香さ、急になにそんな目つきするようになったの?
八神がいるから?
バカみたい。
「経験だよ経験。あたし、今まで人気が鰻のぼりだったもん。今からあたしの人生が壊れることなんかないでしょ?」
あたしが自信を持つのは、みんなにチヤホヤされて育ってきたから。
それが当たり前。
あたしが弱くなるなんて、微塵も思っていないよ。
「だめだよ愛香、コイツ、救いようがない。」
夜風が肩をすくめて愛香を見る。
ん?意味がわからない…。
「ん、しょうがない。だったら、消えてもらう。」
消え…!?
なに、物騒なこと言ってんのよこいつら!?
「ねぇ、松本さん?あなたのSNSを荒らしたのって誰だと思う?」
「し、知らないわよ!」
愛香が冷たい目をする。
もう、なんなのよ!?
あたしの背中に嫌な汗が伝った。
「あたしたちだよ。全部、あたしたち。夜風に協力してもらって、あんたのSNS荒らしたの。」
「へ…?」
愛香が差し出すスマホ。
あたしのSNSだ…
そして、愛香のアカウント。
あたしのSNSを荒らしたアカウントの一つ………
「もうひとつのアカウントは夜風のだよ。」
あたしの頭の中で何かがぷっつりと切れた。
「ふざけないでくれる!?」
してやられたの!?
あたしが?
あたしは、もう、すでに愛香たちの手中に堕ちていたの?
そんなこと…!
「いやだいやだいやだ!!あたしは、強者!!あんたたちに負けるような人じゃない!!」
悔しくてムカついて…
あたしは、頭を抱えて座りこんだ。
「また言ってるよ、松本さん。」
愛香が呆れたように言う。
「強者強者って…。意味分からない。普通の人間にはそんなの通じないよ。」
「やめてっ!!!」