気づいたら、誰もいなかった。
あたしは学校の裏山の森の中で、横になっていた。
シワだらけになった制服が乱暴に着せられている…
あたしは、涙を流し続けた。
体を動かすと、腰に、体に、痛みが走る。
あたしは、顔も名前も知らない男たちに犯されて、汚された。
呆然として地面にペタンと座る。
麗華たちは、あたしがレイプされているのを見て、笑っていたのだろう。
……最低だ…
「ヒック……」
何かが頭の中で切れた。
ぷっつりと見事に切れた。
もう…全てが嫌になった。
限界だ。
もう無理だ。
あたしは、学校に戻り、屋上に行く。
高い柵を乗り越える。
夕陽があたしの涙を照らす。
「ごめん…あたし、もう無理。」
スカートが風ではためく。
足の下には、アスファルトが広がっている。
落ちたら、間違いなく死ぬだろう。
もう、それでいい気がする。
だって…
もう嫌なんだ。
こんな世界でいじめを受けて、レイプされて、たくさんの人に裏切られて。
「もう…何もかも……いやだ」
一歩足を踏み出せば、終わる。
もう、全てを終わらせるんだ。
死んで、憎い麗華たちに思い知らせてやる。
あんたたちは、人殺しだ。
立派な殺人鬼だ。
これが、私にできる精一杯の復讐なんだもん。
「さようなら——」
あたしの足が屋上の淵を越える。
これが、全ての終わりだ。
あたしの高校生活を全て捨てる。
これで、おしまい。
何もかもおさらば——。
あたしは、落ちなかった。
「……え…?」
あたしは空中で手を掴まれ、静止していた。
「何やってんだよ、バカ!それは復讐のつもりか!?」
あたしの手をしっかりと掴んでいたのは、八神さんだった。
「八神…さん……」
手を引っ張られて屋上に連れ戻される。
「良かった…間に合って。」
八神さんがあたしを抱きしめる。
八神さんの体の温かさを感じた。
「う……ひっく…う…う……」
涙がさらに流れる。
「大丈夫、大丈夫だよ…」
八神さんがあたしの頭を優しい手つきで撫でる。
温かい。
あたしが求めていたもの。
ずっとずっと求めていた。
冷たい狂気の世界で願っていた。
今日、今、伸ばした手を掴んでもらえた。
あたしを引っ張り上げてくれた。
「うあぁぁ……」
八神さんに身を任せて、あたしは泣いた。
憎い…憎い憎い…
あたしをいじめた人が憎い。
アイツらが憎い。
「ねぇ、清水はさ、死んだら復讐になると思ったの?」
あたしは素直に頷いた。
「そんなわけないじゃん。佐野のことを突き落として笑っている奴らだよ。アイツらは、人が死のうがどうでもいいんだ。新しいターゲットを見つけてまた痛ぶるだけ。」
八神さんは淡々と喋る。
「ダメなんだ。アイツらは、そういう奴らなんだ。死んだって復讐なんかにならない。すぐに忘れられる。俺、そういう人を何度も見てきたんだ。」
「っ……、だったら、どうすればいいのよ……」
もう、八神さんに全てを任せるつもりになった。
「復讐しよう。手伝ってやるから。
——本物の生き地獄を見せてやろうぜ。
やられたことを全て思い出して。
憎いでしょ?悔しいでしょ?」
体中の痛みがあたしのイジメを物語る。
アイツらが…あたしを忘れてのこのこと生きているなんて許せない。
ふざけんな。
あたしの中で、怒りが沸き立つ。
「憎い……」
「だろ?やられた者がやり返して何が悪い?
法律で裁けないなら、自分でやるしかないでしょ?
やろうぜ、復讐。」
あたしは、その言葉に、しっかりと頷いていた。
復讐が成功するかなんて関係なかった。
全てが壊れたあたしには、もう、何も残っていなくて。
何かにすがりたかったんだ。
「いいね。その意気でやろう。」
八神さんがクスリと笑う。
右手で左手のミサンガを触っている。
あたしは、八神さんに助けられたんだ。
「清水」
「なに?」
八神さんに何かを渡される。
「飲んどけよ。」
箱のゴシック体の文字を見る。
『経口避妊薬』
「ぶっ!!ごほっごほっ…!」
思わず咳き込んでしまう。
「ひ、ひ、避妊薬…」
高校一年生にして、避妊薬を飲むことになるなんて…
「てっ…ていうか、なんで八神さんがこんなの持ってんの!?」
顔が赤くなるのを隠して八神さんに聞く。
「本当に聞きたい……?」
そう言う八神さんの顔は、邪悪極まりなくて…
「やめておきます。」
あたしは顔を逸らした。
「まあね、」
八神さんが頭の後ろで手を組む。
「俺も、色々事情があるんだよ。避妊薬だって必要になるわけだ。」
「………?」
なんか、ふかーーーーーい事情があるらしい。
八神さんの顔は少し悲しそうだった。
あたしは、もうそれ以上この話題に触れずに、黙って薬を飲んだ。
その時、八神さんの初期設定のままの着信音がした。
「あ〜。裕二とその仲間?に関する新しい情報じゃん。」
「え…八神さん情報屋なの…?」
八神さんがスマホを見る。
そして口角を上げる。
「ナイスタイミング。いい情報だよ。」
八神さんがスマホの画面をこちらに向ける。
「読んでみ?」
八神ちゃーん!新情報だよん♪
あんたが探してる花田裕二とやらがやらかしちゃったっぽいよ⭐︎
花田裕二ってヤクザと絡んでるじゃん?
そいつら、コンビニで強盗起こしたんだってwww
でも、警察が事前に嗅ぎつけてたみたいでさ、見つかっちゃったの!
ウケるっしょ〜?
ミスった原因は裕二だってw
裕二がコンビニでバカみたいに不審な動きをするからバレたらしいよ。
やるならもうちょっと慎重にやれっつーのw
で、ヤクザ3人と裕二は強行突破。
警察に怪我負わせて逃げたらしいよ?
アホにも程があるよね〜。
そうそう、ヤクザの1人の電話番号特定したよん!
090-XXXX -XXXX
ウチが教えられるのはここまでかな♡
ウチも「情報屋」伊達にやってるわけじゃないからね(*^^*)
んじゃ、頑張ってね〜。
ばいちゃ。
「………え?どういうこと…?」
あたしの第一声はそれだった。
情報屋?
誰だよ。
てゆーか、メールだったんだ。
で…?
裕二が…コンビニ強盗?
あらま。
どうしましょ。
眼光の鋭さ学校一の生活指導のセンセが…
「おーい、清水〜?」
目の前で手が振られてハッと我に帰る。
「あ、うん。ど、どうするの…?」
「さあ?あんたが復讐したい人に復讐すればいいの。俺はそれに従うから。」
八神さんは軽いノリで言うけど…
復讐する人を決めるなんて、そんな簡単じゃないよ…
「あたしには、分からないよ…復讐なんて……」
手を握って下を向く。
あたしは、弱いから。
いつも、逃げ腰だから。
優柔不断だから。
——あたしには、できないよ…
小さな痛みが額に走る。
「いたっ……」
「ほら、すぐ弱気になる。
憎い人、許せないと思った人を挙げていけばいいのに。
簡単でしょ?
イジメなんてするやつを許せるの、清水は。
馬鹿なこと考えてないで早く決めたら?」
デコピンをした八神さんがあたしを見て言う。
そう…だよね。
そうだよね。
憎い人は…いる。
でも…
あたしにはキツイから、猶予が欲しい。
すぐに名前を挙げられるほど、あたしは強くないもん。
「八神さん…明日まで待って。」
あたしは、八神さんと別れて家に帰った。
「佐野は、昨日階段から落ちているところを発見された。幸い右腕の骨折と左足の捻挫、頭部の傷だけで済んだが…君たちも階段から落ちないように気をつけろ〜。」
佐藤先生がそう言ってホームルームは終わった。
あたしは心の底からホッとした。
百合香は無事だった。
あたしは、その情報だけで充分だったんだ。
昼休み
「ぶーちゃん、おーいでっ!!」
昨日のことなんか何もなかったかのように麗華があたしを呼ぶ。
「は…は…い…」
「へ〜!返事するようになったんだえらいね〜!ぷっ…あはは…」
彩綾が笑う。
奈々美はスクープだと言わんばかりにスマホをむけている。
あたしが連れてこられたのは、屋上。
「ね、ぶーちゃん、また、裕二くんに付き合ってね?」
奈々美がニコニコと笑いを振りまきながら言う。
いつのまにか奈々美の背後には、裕二がいた。
見るからに不機嫌そうな顔をしている。
「裕二くんはぁ〜、今日はご機嫌斜めだから、ちょっとキツイかもしれないけどね〜!」
奈々美が裕二の腕に絡む。
表情ひとつ変えない裕二。
「俺はムカついてんだ。またやらせてもらうぜ。」
裕二の顔が醜く歪んだ。
「っ……いい……ぐ……はっ……」
人生で2度目の苦痛が襲う。
「オラオラ!!手ェ抜いてんじゃねぇよ!!」
———バキッ!
裕二に殴られる。
「ぐっ……」
今回はなかなか意識を失えない。
でもね、そのおかげで今回は見えているんだ。
あたしたちから少し離れて、あたしを見下して笑っている人たち。
スマホで写真を撮っている人たち。
気持ちの悪い笑みを浮かべながらあたしを犯す人。
あたしは、涙で霞む目を最大限に見開いてあたしの目の前の人を見る。
あたしのプライドを、心を、決定的に壊した。
汗をダラダラ垂らして笑いながら激しく動く裕二。
気持ち悪いったらない。
「………決まった。」
あたしは目を伏せて呟く。
「あぁ!?なんか言ったかオラァ!!」
「ぐあっ……」
裕二の拳があたしの体を襲う。
そうこうしているうちにも意識が霞んでゆく。
この痛みは何度経験しても慣れないだろう。
お腹に響く鈍痛を感じながらあたしは意識を手放していく。
あた…しは、
コイツら……
に…
ふ……
くしゅう…
する。
———絶対に許さない。
腹部の鈍痛が激しくなる。
バチンッ!
急に大きな音がしたと思った。
目の前が点滅し始める。
あたしの意識は飛んだ。
暖かい……
今までの苦痛とは全く違う穏やかな時間が流れていた。
あたしは目を開けた。
あたしの体には夏なのにブレザーがかけられている。
あたしに背を向けるように八神さんが座っていた。
「八神……さん。」
あたしの声に反応して八神さんが振り返る。
「清水。起きた?」
「うん……。……ぐあ!」
体を起こすとやはり腹部や腰に痛みが走る。
あたしはまた仰向けに寝転がった。
「無理すんなよ。」
「ん…ありがと。」
八神さんの少しの心遣いが嬉しい。
「八神さん…」
「何。」
あたしは、八神さんの黒い目をしっかりと見つめて言った。
「復讐、するよ。」
八神さんは少しあたしを見つめた。
そして、笑ったんだ。
「よろしく、愛香。」
八神さんがあたしに手を差し出す。
あたしは、寝たままその手を握った。
「こちらこそ、よろしく。夜風。」
夏の風が吹き、八神さん…夜風の長い髪の毛が煽られる。
あたしが寝ている間に時間が経ってしまったのか、あたしたちを、横から夕陽が照らす。
夏服の、紺色のポロシャツ姿の夜風の体のラインがシルエットのように浮かび上がる。
夕陽に照らされた八神さんの顔は、今までで一番優しくて、頼もしい、
そして少し憂いを含んだ
美しい笑みを浮かべていたんだ——。