「君を愛するつもりはない」
新婚初夜、そう言って二人の寝室を出て行った旦那様。
今夜も彼の訪いのない部屋の広いベッドの上、新妻はため息を落とす。
食事は時間が合えば一緒に。彼のエスコートで買い物に観劇にと出掛けることもある。彼が営む商会の取り引きが縁で結ばれることとなったために、取り扱う品について意見を求められることもあれば、試供品と称して新商品を手渡してくれることもある。
二人の関係は良好と言えば良好のはずなのに……
結婚してから一日経ち、一週間経ち、一ヶ月が経っても、彼は言葉通りに夫婦としての関係性を築こうとしない。
ただの同居人。もしくは共同経営者ということにでもなるのだろうかと、キャサリンは頭を悩ませる。
キャサリン・フォードはエスト領を治める伯爵家の一人娘だった。
エスト領は国の中ほどに位置しそれなりの規模の土地ではあったが、特産品と呼べるものを持たず、領主である代々の伯爵家当主がただただ無難に維持してきたために、破綻することはないものの発展することもない。長雨や不作といった自然災害に襲われたとしてもやり方を変えないものだから、領民の暮らしが苦しくならないよう対策した結果、ゆるやかに確実に貯蓄は減り続け、今や伯爵家は立派な貧乏貴族である。
貧乏令嬢として、それも一人っ子であるからには領地のために、家のために、いつかは金持ち貴族の次男三男を婿に、もしくは後妻でも何でも自分は嫁に行き親戚から爵位を継ぐ養子を迎えなければと考えていた。
そんなキャサリンの実際の結婚相手となったのは「古くから地域に根付いたお守り人形を特産品として売り出してみないか」と父親に商談を持ちかけてきた商人だった。二十も年上の。
借金のために身売りしただとか、弱みを握られ脅されただとか、そういった事実はない。むしろ伯爵家からのアプローチによる婿入りだ。
彼と父親との商談の場に同席して顔を合わせているうちに、互いに惹かれあった。キャサリンにとってのきっかけは、彼からの熱いと感じる視線。それに気付いてしまえば意識せずにはいられず、いつの間にかキャサリンこそが彼を求めているような状態になってしまったのだ。
「……ザック様のバカ」
両想いだと信じている。彼の気遣いは有能な商人だけあって細かく、そしてあたたかい。咳のひとつでもしようものなら、彼の方こそ顔色を変えて医者を呼ぼうとし、元気だと見せると安堵しながらも滋養のあるものを用意してくれる。
結婚前からそんな人だったからこそ、支え合って生きていけると確信して夫婦になったというのに。
「大バカ。なんなのよ」
ザック・ロステットはやり手と噂の絶えない男だった。若くして商会を立ち上げ、庶民出でありながら一代で大きな富を築き、功績から今では準男爵にまで成り上がった。爵位を金で買ったとも言われ、本人も笑っておどけるけど、実力あってのものだとキャサリンは理解している。
目の利く彼が見初めたのが貧乏令嬢だとは、それも学園を卒業したばかりの小娘だとは、世間が驚愕したのも仕方ない。
キャサリンが社交界に出れば買われた娘だと謂れのない陰口を叩かれ、ザックが商談の場に赴けば年若い、それも爵位持ちを上手く騙したなどと騒がれる。
悪意ある話題を引っ繰り返すためにも、真実夫婦になるべきであるというのに。
好意をそれとなく伝えても信じず煮え切らない態度だったからと、貧乏貴族なのを名目に、資産のある商会と繋がりを持ちたいとして求婚したのが間違いだったのか。
年齢差を気にしているのは感じていたが、年が離れているなんて初めからわかっていたこと。考えの違いも経験の違いも、少しずつ擦り合わせれば問題ないと先延ばしに婚姻を結ぶのを優先した。
それはひとえに愛しているから。彼が取り引きするような淑女とは毛色が違うから興味を引いたのだとしたら、飽きられる前にと急いでしまった。
結果として大切に扱われてはいるし、その視線に含まれた熱量も変わらないと感じるのだから、彼の心がキャサリンにないということはなさそうだけれど。
このまま白い結婚だとしていつか離婚を切り出されてしまうのかもしれないと考えると、涙が出そうだった。……悲しみではなく、悔しさで。
「ザック様の意気地なし」
一ヶ月半が経とうという頃、我慢の限界がきた。早いか遅いかは当人同士にしか判断出来ないところだろう。
もしかすると彼がこれから関係を築く道に踏み出す可能性もあったかもしれないが、それでももうキャサリンにとっては堪えることは無理だった。もう待てないと思った。
だから今夜、キャサリンは決断を下す。
ここしばらく大人しくしていたが、元来キャサリンはじゃじゃ馬と呼ばれる類の令嬢だった。
こぶしを握り、立ち上がって部屋を出る。目指す先は愛しの旦那様の部屋。ドアの隙間から漏れ出る明かりはなく室内は暗いようだが、中にいることはわかっている。
「待ってなさいザック様、今更逃げることは許さないんだから」
勘違いでなく愛されていると自負している、愛し愛されているのだから既成事実を作っても誰に何を言われる筋合いもない。
さあ、夜這いだ。物言わぬドアに手をかけ、静かに押し開く。
「手篭めにしてあげる」