「その時に、ナッツ入りのパンケーキを間違えて食べてしまったんですか?」
一花の問いかけに姫香は首を横に振る。アレルギーの危険さはしっかり教わっていたようだ。
「まさか!ナッツを小学五年生の時、一度間違えて食べちゃったことがあったんですけど、すごく辛くて……。エピペンを使ったから助かったけど、あんな思いはもうゴリゴリ。絶対に私は自分から食べることはありません!」
「……なら、一緒にパンケーキを食べに行ったあの三人に食べるように言われたとか?」
桜士が訊ねると、「それはもっとありません!!」と姫香は髪をクルクルと指に巻き付けながら言う。
「みんな、私のアレルギーにちゃんと理解を持ってくれてます!ネットの掲示板みたいに、「アレルギーは甘え」とか「少しずつ食べていけば治るから」とか言って無理に食べさせようとしたことなんてありません!」
姫香の目には、脅されて食べさせられた恐怖などは一切感じられない。桜士は一花と顔を見合わせ、次に三人に事情を訊ねることにした。
彼女の友達の名前は、宮内英美里(みやうちえみり)、夏目透(なつめとおる)、山川尚(やまかわなお)と言う。英美里は小柄でショートボブの可愛らしい女性、透は背が高く筋肉質、尚は色黒で目元にホクロのある男性だ。
「パンケーキを食べた後、私たちはカフェの近くにあるカラオケに行ったんです。カラオケに行って十分くらい経った頃だったと思います。急に姫香ちゃんが苦しみ始めて……」
英美里の体が震え、涙が零れ落ちる。透が彼女の肩を支え、尚が髪をクルクルと指に巻き付けながら「姫香は?」と不安げに訊ねた。桜士は笑みを浮かべて言う。
「大丈夫ですよ、救急車を三人が呼んでくれたおかげで、姫香さんは無事です」
桜士の言葉に三人はホッとした顔を見せた。そんな三人に一花が質問をする。
「姫香さんはミックスベリーパンケーキを食べたと言っていました。三人はどんなパンケーキを食べたんですか?」
「私はホイップパンケーキを食べました」と英美里。
「俺は抹茶パンケーキを」と透。
「僕はキャラメルパンケーキを食べました」と尚。
三人の食べたパンケーキで、ナッツが入っていたのは尚の食べたキャラメルパンケーキだと言う。だが、四人は一口ずつパンケーキを交換したりはせず、自分の頼んだ分だけを食べたのだそうだ。
「……一体、どういうことなんだ?」
三人の話を聞いた桜士や一花はもちろん、庄司やヨハンも困惑する。何故、食べていないのにアナフィラキシーショックを姫香は起こしたのか。三人に「大丈夫?」と声をかけられながら帰って行く姫香を見ながら、全員は首を傾げていた。
それから数日経っても、姫香のアナフィラキシーショックの原因は特定できないままだった。
「別の何かでアレルギーを発症したんじゃないか?」
ヨハンがそう言い、血液検査でパンケーキに使われる小麦なども調べてみたのだが、結果はナッツとスギ花粉にだけ陽性反応が出るだけだった。
「やっぱり、あいつらのうち誰かが姫香を騙してアレルゲンを食わせたんじゃ……!」
庄司が顔を顰めながらそう言った刹那、救急隊から電話が入る。桜士が電話を取った。
「はい、もしもし!榎本総合病院救急科の本田です」
『もしもし、こちら救急隊の長本(ながもと)と言います。××高校にて女子生徒が一人アナフィラキシーショックを起こしました』
救急隊が告げたその高校は、姫香の通っている高校だ。嫌な予感を覚えつつ、桜士は患者の情報を聞く。
『アナフィラキシーショックを起こしたのは、黒田姫香さん十六歳です。全身に発疹ができ、嘔吐を繰り返しています』
「えっ……」
桜士の目が見開かれた。
数分後、ストレッチャーに乗せられた姫香が運ばれてくる。保健室の養護の先生が付き添っていた。
「姫香!大丈夫か!?」
庄司が駆け寄ると、全身に発疹ができ、真っ赤に顔を腫らした姫香がか細い声で「ママ」と呟く。パパと呼ばれなかったことにショックを受けた様子の庄司をヨハンが回収し、あの日のように桜士は一花と共に処置に当たった。
アドレナリンとエピペンを投与し、姫香の状態が落ち着いたところで桜士は養護の先生から話を聞くことにした。
「昼休みが終わりそうな頃、アナフィラキシーショックを起こした黒田さんを同じクラスの山川くんが慌てた様子で運んできたんです。そして、救急車を呼びました」
「どうしてアナフィラキシーショックを起こしたんでしょうか?」
一花が訊ねると、養護の先生はわからないと首を横に振る。今日は調理実習などもなく、アレルギーを持っている姫香は友達とお菓子を気軽に交換するような生徒ではないため、自分から口にしたとは思えないそうだ。
「朝、姫香が食べていたのはチョレギサラダとフルーツヨーグルトだった。弁当の中身も小エビの卵焼き、かぼちゃサラダ、ブロッコリーのしらす和えだから、もちろんナッツは入ってない」
庄司がそう言うと、ベッドからゆっくり体を起こしていた姫香は顔を顰める。
「何でパパ、お弁当のおかずまで知ってんのよ。ママしかご飯作らないのに。ストーカーかよ」
「姫香!親に向かってなんてことを言うんだ!」
今にも親子喧嘩が始まりそうな雰囲気だったため、桜士が間に入る。
「まあまあ、落ち着いてください。……姫香さん、お昼はどなたかと一緒に食べていたんですか?」
「はい。尚くんと透くんと英美里ちゃんーーー数日前にパンケーキを一緒に食べに行ってここに来るのに付き添ってもらった三人と食べました」
「あの時のメンバーと……」
ヨハンは顎に手を当てて考え始める。あの時と同じメンバーと食事をし、アナフィラキシーショックを姫香は起こしている。だが、アレルゲンが体内に侵入しない限り、アナフィラキシーショックは起こりにくい。桜士も考えたものの、その場にいただけでアナフィラキシーショックを起こした事例などなく、答えは当然見つからない。
「三人はどんなものを食べていたんですか?」
一花が訊ねると、「えっと……」と言いながら姫香は髪をクルクルと指に巻き付ける。そして一人ずつ思い出しながら話し出した。
「英美里ちゃんと透くんはお弁当を持ってきていました。だけど、尚くんはお弁当を忘れて購買でパンを買ってました。ピーナッツバターのサンドイッチを食べてたなぁ〜」
ピーナッツは姫香のアレルゲンである。桜士は目を細めた。姫香は優しそうに微笑みながら指に髪を巻き付けていく。
「英美里ちゃんは、鶏ささみの梅しそロール巻きと、キャベツシュウマイ、あとは小松菜コーンのバター炒めがおかずに入ってました。透くんは、ちくわのノリチーズ巻きと、にんじんのゴマ味噌炒め、あとエリンギのカレーマヨ炒めが入ってました」
「姫香さんのアレルゲンになっているものを食べていたのは、山川さんだけなんですね」
一花がそう言うと、姫香はゆっくりと頷く。天才医師と呼ばれている一花もどこか困ったような顔をしていた。このようなケースに出会ったことはないからだろう。
「まあ、とりあえずアナフィラキシーショックが落ち着いてくれてよかったよ」
庄司がそう言い、動くことが可能になった姫香はこのまま家に帰ることになった。救急科の出入り口まで見送ることになったのだが、ドアが開くとそこには尚の姿があった。
「尚くん、どうして?」
姫香が驚いた様子で彼に駆け寄る。尚は指にクルクルと髪を巻き付けながら、顔を少し赤くして言う。
「……姫香ちゃん、無事でよかった。急にアナフィラキシーショックを起こしたから心配で、気が付いたらここに来ちゃった」
「わざわざ来てくれたの?ありがとう!」
姫香は嬉しそうに笑う。そして、養護の先生と二人は桜士たちに頭を下げて帰って行った。
「ああいうの、青春って言うのかな?」
「学生の頃が懐かしくなるな、一花!」
一花とヨハンが微笑みながら言う。だが、今回もアナフィラキシーショックが何故起きたのかわからなかった。
「原因は何なんだ?」
桜士の問いに、誰も答えることはできなかった。
だが、それから二週間も経たないうちに姫香は何度も榎本総合病院にアナフィラキシーショックを起こして搬送されることになった。いつも原因はわからずじまいである。
「今のところ共通しているのは、アレルゲンとなるナッツを一緒にいた山川尚くんが食べていたってだけか」
桜士がそう言うと、ヨハンが頭を掻きむしりながら「ああ〜、もうわかんねぇ!!」と大声を出す。
「姫香に何が起きているんだ……」
ため息を庄司が吐いた時、一花がテーブルを両手で叩いて立ち上がり、言った。
「潜入調査をしましょう!!」
その言葉に、ヨハンや庄司はもちろん、桜士の目も点になった。
その日、仕事が終わった後、桜士の姿はカフェにあった。可愛らしい花があちこちに飾られたカフェには、多くの女性客が楽しそうに話しながらパンケーキを食べている。そう、このカフェは姫香がパンケーキを食べてアナフィラキシーショックを起こしたカフェである。
(こんなところに来るのは久しぶりだな……)
チラリと可愛らしい雰囲気が溢れる店内を見た後、桜士は店員が持って来てくれた水の入ったコップに口をつける。
公安の操作でターゲットとなった女性と接触し、必要な情報を手に入れるためにデートを重ねることは何度も経験した。大抵の女性にこのようなカフェに連れ込まれ、甘ったるいクリームたっぷりのスイーツを無理やり食べさせられたものだ。思い出しただけでも胸焼けを感じてしまう。
(だけど、今は……)
桜士の頰が赤く染まり、胸が高鳴る。隣を見れば手作りのおしゃれなメニュー表をジッと見つめる一花の姿があった。黒のドット柄のフェミニンなワンピースがよく似合っている。