その1
夏美



”その日”は中間テストの期間中で、自宅着いたのは昼前だったんだけど…

「ただいまー」

「ああ、夏美、お帰り…。ちょうどいいとことろだったわ。お父さんから朝、電話があってね…。財布の中カラのまま持って行っちゃったんでさ、これから現金を届けるところなんだけど…。なんか、急に貧血っぽくなっちゃってクラクラしてて…。悪いけど夏美、代わりに行ってくれないかしら?」

確かにお母さん、顔色真っ青だ…

前日は明け方まで机に向かっていて寝不足気味だし、一眠りしたしたいところだけど、いやとも言えないわ

「じゃあ、行ってくるよ。お母さん、ちゃんと横になってないとダメだよ」

「ええ。すまないねえ、試験中なのに…。はい、これ、タクシー代」

「ありがとう。じゃあ、火の玉川原のグランドね…」

「うん…。12時前には着いてるだろうからって言ってたわ」

今からなら、表通りでタクシーすぐ拾えれば12時半ってとこか…


...


川原に着いた…

はは…、お父さん、いたわ…


...


”カキーン…!”

”うぉー、ライトー、バック、バック…!”

”ナイス、キャッチー!!”

アハハ…、あれ、お父さんじゃん…

待ってる間もじっとしてられず、きっと少年野球に無理矢理乱入したんだわ(笑)


...


「おとーさ~ん!」

「おー、夏美か…。…ああ、キャプテン、ちょっとタイムー!」

私が土手の石段を小走りして降りていくと、太っちょのお父さんは額の汗をハンカチでぬぐいながら、私の前に走ってきた

お父さんはいつも全力疾走だ

いつも…

ずっとだ


...


「なんだ、夏美が来てくれたのか…」

「うん。中間試験で昼前に家戻れたから。お母さん、また貧血気味で顔真っ青でさ…。ちょっと無理そうなんで、私がね」

「そうか…。お母さんさあ、このところ調子よかったんで、ほっととしてたんだけどなあ…。いやあ、お前も試験勉強があるのに、悪かったな…」

「ううん。息抜きにはちょうどいいよ。どうせだから、ここで少し走って行くつもりだし。ああ、はい…、これ。お母さんから預かった現金。相変わらずそそっかしいね、お父さんは(笑)」

「はは…、昨日、飲み屋の接待で全部使っちまってね。うっかりしてた。会社からの経費が出るのは給料日に一括だからさ。さすがに今日一日、文無しじゃあな…。お父さん、キャッシュカード持ち歩かない主義だから(苦笑)」

”おじさーん!タイムは終了したよー!”

「おお、今いくよー!」

「じゃあ、私はこれで…」

「ああ…、夏美もこっち、ちょっと来い」

「えっ…、お父さん、何よ…」

お父さん、私の手を掴んで強引に引っ張ってくよ…

全くう…


...


「…キャプテン、おじさんさ…、仕事に戻らなきゃならいから、これで外れるわ」

「えー?スイッチヒッターのお兄さんを見ていくんじゃないの?それにメンバーだってさ、お兄さんが来るまで一人足んないよ。まだ守備終わってないし…」

「うん…、だからこのお姉さんが、その兄ちゃん来るまで代わりを務めるから」

はー?

なんだって~!!

...


「だって女の人じゃん。野球できるの、この人…」

「このお姉さん、高校の陸上部で主将やってるんだ。足、めちゃくちゃ速いぞ!しょぼいゴロでも、あっという間に一塁行っちゃうからセーフだ」

冗談でしょ…!

この人、何、訳わかんないこと言ってんのよー!

...


「お父さんったら、やめてよ!そんなこと言うの…」

私は父の腕をつかんで訴えてるが、この人、ニヤニヤしてネクタイを整えてる…

「わー、じゃあお姉さん、よろしくー!まだワンアウトで守備終わってないんで…。ライトに着いてくださいね」

「ちょ…、ちょっと待ってよ、私、やだよ!」

私は単なる駄々をこねる少女のようだった…


...


「…まあこの子達じゃあさ、ライトなんかそうそう飛んではこないから大丈夫さ。さっきのは向こうの4番だったからだよ。…少ししたら、そのスイッチヒッターの豪打者が来るから。なんでも、この子達相手に29打席連続安打なんだってからなー」

「あのねー、お父さん…、私は陸上部なのよ!このグランドで走って行くとは言ったけど、草野球なんかゴメンよ!」

「いやぁ…、オレも大学まで野球やってたんで、そのスイッチヒッターは是非見てみたいんだが、仕事なんでな。お前、代わりに見届けて、今晩お父さんにその様子を教えてくれ。いい酒の肴になる。はは…、じゃあ、頼むな」

「何言ってんのよ…、あのねー、おとうさん!私は…」

「ほい、グローブ。これ、○○の高いヤツだ。…ああ、お母さん、大事にってな。今晩はなるべく早めに帰るから」

ふう~、この人、娘の話聞く耳持ってないって…

太っちょお父さん…

一方的に話してさっさと行っちゃったわよ