「こんにちは、里奈さん。悠聖君が、今日、うちに遊びに来たいって言うから預かるわね。17時には、また連れてくるわ」

美穂子は、悠聖の柔らかい黒髪をそっと撫でながら、私に向かって微笑む。

「いや、でも、悪いわ……お子さんもご病気だと伺ってますし、ご主人様の夕飯の支度もあるでしょうし……」 

「もう、遠慮しないでよ、お向かいさんなんだし」

美穂子の白のワンピースが風にふわりと揺れる。   

「ごめんなさい。やっぱり……悠聖が、ご迷惑おかけしてもいけないから……」

美穂子の白いワンピースと、美穂子が、笑うたびに見える白い歯に、段々、心が騒がしくなって、心の中は、まるで黒い雨が降り注いだように、転々と黒い水玉が染み込んでいく。

そして、小さな疑惑は、細胞が増殖するように、ジワジワと、より大きな滲へと変化する。そうして、心は、より芯の奥深いところまで、黒い感情で色づいていく。 

「えーっ、美穂子おばさんの家行きたいよ!ゲームもあるんだって、ねーっ?」

悠聖が、私のセーターの袖を引っ張りながら口を尖らせた。

「悠聖、いいかげんにしなさい」

「やだやだっ!行きたいもん」

「里奈さん、悠聖君が可哀想よ。本当に、(うち)に来ることは、気になさらないで。悠聖君の好きだって言ってたチーズケーキも、もう買っちゃったし」

「わぁい、美穂子おばさん大好きっ」 

「さ、悠聖くん、いきましょ」

美穂子が、悠聖に手を差し出すと、その小さな掌が、美穂子の掌に包まれる。
  
「えっ、あの……」

「じゃあ、里奈さん、悠聖君、お預かりしますね」

美穂子は、私の言葉を遮りながら、切長の瞳を緩やかに細めると、悠聖の手を引いて、玄関扉をパタリと閉めた。