えー、秋風亭流暢(しゅうふうていりゅうちょう)と申します。

 一席、お付き合いを願いますが。

 ここで、小話を一つ。

 魚屋のおっさんが屁をこいた。

 ブリッ。

 えー、(ぶり)とはまったく関係ねぇんですがね。蕎麦(そば)好きの話でして。

 とにかく、三度の飯より蕎麦が好きってんで。

 ま、蕎麦も飯の一つに含まれるわけですが。

 “信州信濃の新蕎麦よりも、わたしゃ、お前のそばがいい”なんて、都々逸(どどいつ)もありますが、こっちは、“あんたのそばより、わたしゃ、食う蕎麦がいい”の方でして。

 とにかく、蕎麦キチも蕎麦キチ、うどんなんか食う奴を見ると腹が立って、挙げ句の果ては喧嘩を売っちまう始末だ。

 まぁ、“火事と喧嘩は江戸の華”とは申しますが、いくら江戸っ子が喧嘩が好きだったって、うどんを食ったからって喧嘩する奴ぁ見たことねぇ。

 その蕎麦キチの名前がまた、いいじゃねぇか、熊吉だ。単にキチが付くってぇだけなんですがね。




 今日も馴染(なじ)みの蕎麦屋に行くってぇと、ツーと言えばカーだ。

「おやじ、いつもの」

「あいよ。いつものね」

 おやじがいつものを持ってくるってぇと、熊吉は途端に満面の笑みだ。

 舌なめずりしながら、割り箸をバシッと割るってぇと、二、三回擦る。

 まず、()で味わう。ツルツルっと、(すす)るってぇと、舌で転がす。

 まるで、新酒の利き酒みてぇなもんだ。

 こりゃあイケると思ったら、次はつゆに先っちょをちょびっと付けて、またツルツルっといくわけだ。

 その、口に含んでゆっくり味わう熊吉の満足そうな顔ったらありゃしない。

 もう、陶酔(とうすい)の域に達してるって感じだ。

 目を閉じて、にやけちゃって、満悦至極(まんえつしごく)と言った表情だ。

 つゆに山葵(わさび)を混ぜるなんて邪道はしない。山葵を付けるとしたら、蕎麦の方にだ。ちょびっと載せて、蕎麦の先っちょをつゆにちょっと付けて、またツルツルっといくわけだ。

 ま、蕎麦好きには堪らないシチュエーションだ。

 そこに、島田結いのちょっと粋な女が入って来た。

 透き通るような白い肌に、鼻筋まで通っちまってるいい女だ。

 “色の白いは七難隠す”って言うが、女を見た途端、熊吉の箸が止まっちまった。

 まぁ、いずこの男衆もいい女には目がないもんだが、よっぽどいい女と見えてか、動画を写真に撮ったみてぇに突然、ピタッと熊吉の動きが止まっちまった。

 片方に蕎麦猪口(そばちょこ)、もう一方には箸を持ったまんま。もう一つ鼻が入るぐれぇのスペースで鼻の下を長~くしちまって、半開きの口許からは蕎麦が一本垂れちゃってさ、情けない格好ったらありゃしない。

「ざるをおくれな」

「へぇ。蕎麦とうどん、どちらを」

「うどんを」

 女は迷うことなく、うどんだと。うどんが好きだから、色が白れぇってわけでもねぇんだろうが。

 いつもなら、ここで、

「なぬぅ、うどんだと? 江戸っ子なら、蕎麦に相場が決まってら」

 と、駄洒落(だじゃれ)交じりの喧嘩を売るところだが、今回はちっとばかり勝手が違っちゃって。

 何度もにやけるもんだから、口許にしがみついてた蕎麦がズルーっと滑って落っこちまった。

 それにも気付かないで、熊吉はにやけたまんま、女に見とれてやんの。みっともないったらありゃしない。

 女の方は、そんな熊吉を知ってか知らずか、涼しい顔で(うなじ)の後れ毛を整える素振りで横を向いちまってさ。

「へい、お待ち」

 おやじがうどんを置くってぇと、

「あら、うまそうだこと」

 女はそう言って、葱、生姜、胡麻の薬味をつゆに入れるってぇと、うどんを半分ぐらいまでつゆに付けて、ツルツルといった。

「……ううん、おいしい」

 女の方も、満悦至極の先刻の熊吉と似たような表情だ。

 女の食べ方にも惚れちまった熊吉は、女に目をやったまんま、女の真似して蕎麦をツルツルっと啜るってぇと、

「……ううん、うめえ」

 と、女と同じような表情をしちゃってさ。二人で満足顔の応酬だ。

 食べ終わるってぇと、女が最後に言ったね、

「やっぱ、うどんはおいしいね」

 と。

 熊吉も負けじと言ったね、

「やっぱ、そば…………にある麺はうまいね」

 と。

 それを聞いた、他の客が言ったね。







「これが、ほんとのめん食いだ」







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