奇跡が起きたのだと、そう思った。そうとしか、思えなかった。
彼女が、カミーユ・カルリエが、婚約を解消する、なんて。
「アルベール、お前、それどうした?」
ギャロワ王国の王城、国王の執務室に呼び出されたアルベールは、挨拶をする間もなくかけられた言葉にぱちりとその深い藍色の目を瞬かせる。主君でもあり、幼い頃から話し相手として言葉を交わすことを許されていたギャロワ王国の若き国王、テオフィル・ギャロワは、アルベールと同じ藍色の目を、これまで見たこともないほど大きく見開いていた。
的を得ない質問に、アルベールは僅かに首を傾げるも、しかしその視線の先が自分の肩の方に向かっているのを見て、ああ、と思い直す。手をそちらへと伸ばせば、指先がさらさらと銀色の髪の毛先に触れた。
アルベール・ブランの象徴とも言われていた、美しい銀の長い髪は、今では肩につかない程の短さになっていた。
「求婚相手に贈るために切りました。歴史あるベルクール公爵家の騎士として、伝統は守らなければと思いまして」
静かに、顔色一つ変えることなく言えば、テオフィルが何故か嬉しそうにその口角を上げる。「そうか! あの噂は本当だったか!」と、彼は嬉々として声を上げた。
「お前が結婚どころか婚約者すら作らないから、あのような褒美を与えたせいだとどれだけ詰られたことか……。お前が相手を決めないのならば自分も結婚しないという貴族の令嬢が続出して、頼むからその髪だけでも切って見せてくれと令嬢たちの親に散々嘆かれたが……。これでもう安心だ……」
テオフィルはどこか遠くを見るような目で言い、深く息を吐く。どうやら知らぬ間に彼には苦労をかけていたらしい。アルベールからすれば知ったことかという話ではあったし、だからと言って、申し訳ないとは別に思わなかったけれど。
「髪を贈るということは、正式に受け入れてもらえたのだな? 相手は誰だ? お前が、婚約を解消した令嬢に突然婚約を申し込んだとしか聞いていなくてな。眉唾ものの噂だと、本気にもしていなかったが……」
きらきらと目を輝かせて言う国王に、アルベールは何というべきかと僅かに逡巡する。やはり、まだ髪を切るのは早かっただろうかと、彼の反応を見て思ってしまったのだ。
ギャロワ王国に属する騎士たちは、幼い頃から髪を切らず、伸ばしておくのが一般的である。そうして長い年月を自らと共に過ごした髪を、生涯を共にする相手に贈るのが伝統なのだ。騎士として、戦争へ赴けばいつどのようにして命を落とすかも分からないため、もし戦地で殉死した時は、その髪を見て自らを思い出してほしいという願いを込めて。
彼女が、カミーユ・カルリエが、婚約を解消する、なんて。
「アルベール、お前、それどうした?」
ギャロワ王国の王城、国王の執務室に呼び出されたアルベールは、挨拶をする間もなくかけられた言葉にぱちりとその深い藍色の目を瞬かせる。主君でもあり、幼い頃から話し相手として言葉を交わすことを許されていたギャロワ王国の若き国王、テオフィル・ギャロワは、アルベールと同じ藍色の目を、これまで見たこともないほど大きく見開いていた。
的を得ない質問に、アルベールは僅かに首を傾げるも、しかしその視線の先が自分の肩の方に向かっているのを見て、ああ、と思い直す。手をそちらへと伸ばせば、指先がさらさらと銀色の髪の毛先に触れた。
アルベール・ブランの象徴とも言われていた、美しい銀の長い髪は、今では肩につかない程の短さになっていた。
「求婚相手に贈るために切りました。歴史あるベルクール公爵家の騎士として、伝統は守らなければと思いまして」
静かに、顔色一つ変えることなく言えば、テオフィルが何故か嬉しそうにその口角を上げる。「そうか! あの噂は本当だったか!」と、彼は嬉々として声を上げた。
「お前が結婚どころか婚約者すら作らないから、あのような褒美を与えたせいだとどれだけ詰られたことか……。お前が相手を決めないのならば自分も結婚しないという貴族の令嬢が続出して、頼むからその髪だけでも切って見せてくれと令嬢たちの親に散々嘆かれたが……。これでもう安心だ……」
テオフィルはどこか遠くを見るような目で言い、深く息を吐く。どうやら知らぬ間に彼には苦労をかけていたらしい。アルベールからすれば知ったことかという話ではあったし、だからと言って、申し訳ないとは別に思わなかったけれど。
「髪を贈るということは、正式に受け入れてもらえたのだな? 相手は誰だ? お前が、婚約を解消した令嬢に突然婚約を申し込んだとしか聞いていなくてな。眉唾ものの噂だと、本気にもしていなかったが……」
きらきらと目を輝かせて言う国王に、アルベールは何というべきかと僅かに逡巡する。やはり、まだ髪を切るのは早かっただろうかと、彼の反応を見て思ってしまったのだ。
ギャロワ王国に属する騎士たちは、幼い頃から髪を切らず、伸ばしておくのが一般的である。そうして長い年月を自らと共に過ごした髪を、生涯を共にする相手に贈るのが伝統なのだ。騎士として、戦争へ赴けばいつどのようにして命を落とすかも分からないため、もし戦地で殉死した時は、その髪を見て自らを思い出してほしいという願いを込めて。