「そんな顔しないの、カミーユ。大丈夫よ。ブラン卿はあなたが男の人を怖がっていることもちゃんと知っておられるから。お父様がそうお伝えしたそうよ。だから安心して、お話してらっしゃい」



 隣に並んだ母、アナベルが、先日の心配そうな様子とは一変して、なぜか嬉しそうにさえ見える表情でそう告げてくる。思わず怪訝な顔をしてしまうが、それにさえもアナベルは機嫌よさげに「もうすぐいらっしゃるわよ」と笑った。
 まだ約束の時間より半時以上も早いのだけど、と思ったが、そのあまりの上機嫌ぶりに何も言えなくなってしまう。

 なぜ、一夜にしてこうも状況が変わってしまったのだろうか。おそらくは、昨日カミーユが部屋へと下がった際に、アルベールと父、バスチアンが話した内容によるものだろう。アナベルもまた、その後にバスチアンから話を聞いているはずだから。

 騎士の家系である父も、その一族と共に過ごしてきた母も、貴族と言えど本人の気持ちの伴わない政略結婚を推し進めるような人たちではなく、男の人に対して恐怖を覚えるカミーユに、結婚を強要するつもりなどないと、そう言っていたというのに。

 昨日、二人は一体どのような言葉を交わしたというのだろうか。



「……あら。いらしたみたいだわ」



 考え込んだカミーユの耳に、アナベルの朗らかな声が届く。再び時計を見るが、急にその針が進んでいるというわけもなく、やはりどう目を凝らしても約束より半時は早い時刻。

 驚き、顔を上げた先には、大きく開いた玄関扉。その向こうに見える、白銀の髪を持つ、すらりと背の高い男の姿。彼はその美術品のように美しい容貌に、昨日この屋敷を訪れるまでは見たこともなかった、嬉しそうな笑みを浮かべていた。



「ようこそ、ブラン卿。昨日ぶりですわね」

「ごきげんよう、カルリエ夫人。お出迎え頂きありがとうございます」



 アナベルが挨拶をすれば、アルベールは昨日とは違って貴族の挨拶ではなく、胸に手を当てる騎士としての礼の形を取る。ぴしりとした態度で挨拶をする彼は、失礼と感じない程度の間を空けた後、カミーユの方へと向き直った。



「ごきげんよう、カミーユ嬢。今日はまた、一段と美しい」



 さらりと告げられた言葉はあまりにも自然で、しかしあまりの意外さに一瞬呆気に取られてしまう。

 お世辞とはいえ、自分はもちろん、他の令嬢にそのようなことを言っていると聞いたこともない。令嬢たちの間で、彼の言動は常に筒抜けであったから。彼の不愛想具合はと言えば、挨拶をして、無表情のままに「ごきげんよう」とでも返してくれたら運が良いと言われるほどなのである。