右京が延珠を𠮟りつければ、延珠の古都里
に対する心象はいっそう悪くなってしまうに
違いない。無事に箏爪が見つかったのだから、
これ以上事を荒立てることはしたくなかった。

 手の中の小物入れを見つめ、古都里は唇を
引き結ぶ。無くしてしまったと思った時の締
め付けられるような胸の痛みは、ある一つの
想いを気付かせてくれる。

 右京から貰ったものだから悲しかったのだ。
 右京が買ってくれたものだから大切なのだ。

 悲しいと思う理由も、大切だと思う理由も、
右京の存在が自分にとって『特別』だからな
のだと、わかってしまった。

 「尊敬してるから、だよね」

 「何か言いました?古都里さん」

 「ううん、何でもない」

 無意識に呟いたひと言に、狐月が反応する。

 「さっ、戻ろっか」

 ふんわりと、心の中で形になり始めた想い
に思わず蓋をすると、古都里は狐月と共に庭
を後にしたのだった。








 かほるが岡山を発つというその日、村雨家
では本番前の最後の合同練習が催されていた。

 先週と同じく広い和室を繋ぎ合わせ、皆で
熱心にお手合わせに励む。やや緊張した面持
ちで箏の音色に耳を傾けるお弟子さんたちの
気迫を肌で感じながら、古都里は終曲である
『蒼穹のひばり』を弾き終えた。

 シャン、とお辞儀の合図を右京が鳴らすと、
奏者一同がゆっくりと頭を下げる。皆の呼吸
に意識を研ぎ澄ましながら静かに頭を上げる
と、一気に緊張が解れ、肩の力が抜けた。

 先頭に座している右京が振り返る。
 その顔には、会心の笑みが浮かんでいる。

 「この曲の世界観をしっかり音に表せて
いましたね。完璧な仕上がりだと思います。
主奏は尺八だけど弾き始めは箏の独奏になる
から、第一箏の人は僕が龍頭(りゅうず)を叩く音を聴き
逃さないように。古都里さんも。初めての参
加で緊張するだろうけど、当日は会場の空気
に呑まれないように落ち着いて弾きましょう」

 「はいっ!」

 右京の言葉に揚々と頷くと、場が和み、会
はお開きとなった。やがて誰の指示を待つで
もなく、各々が箏や箏柱、鳥居台、敷き詰め
られた座布団などを片付け始める。

 大勢のお弟子さんたちがテキパキと動き回
ることで、あっという間にお稽古の場はただ
のだだっ広い和室へと戻ってしまった。

 「どうもお疲れさまでした」

 和室を出てゆく最後のお弟子さんを見送る
と、古都里は部屋の真ん中で立ち話をしてい
る右京たちにそろりと歩み寄る。合同練習が
ある日は飛炎も雷光も夕食を食べて帰るのだ。

 すでに狐月と延珠はキッチンに下りていて、
夕食の準備を進めていた。もちろん、古都里
もすぐに手伝いに向かうつもりなのだが……
何となく、本番前の不安もあって声を掛ける。

 「あの……演奏会当日は失敗しないように
気を付けますので、宜しくお願いします」

 会話が途切れたタイミングを見計らって頭
を下げると、三人は顔を見合わせ、破願した。