周子は働いてなかったとはいえ、呉松家の当主ということ、婿養子の明博が社長ということもあり、そこの従業員と食事したり、新年会や忘年会に出たりすることが度々あった。
 職場にたまに顔だしては、男性スタッフにちょっかいかけて、困らせるのを楽しんでいた。。
 周子の嫌がらせによって自殺した男性スタッフもいる。
 彼は仕事に慣れてないことからはじまり、家のことや学歴、果ては容姿を周子にからかわれ、自宅アパートにて遺書を残して自殺した。20代半ばだった。
 その遺書には、周子に背が低いことをからかわれ、それを理由に頭の病気じゃないかとか無能じゃないかと言われ辛くなったと残していた。
 事態を知った明博が周子に問い詰めても、しらを切るだけ。
 挙げ句の果てには、そんなことで死ぬのなんて根性ないねとニコニコしながら言い放ったことだ。
 周子は明博の目の前で遺書を燃やし、遺族にそんんなものないですよと報告した。
 この件は周子の圧力でなかったことにされている。
 明博にそう進言したのだから。
 当時を知るスタッフ達も口を噤んでいる。それは今も続いている。
 明博は周子のスタッフ達や他人への無神経な嫌がらせに長年頭を悩ませていた。