番ができれば、こんな苦労もせずに済むのだろうか。本当に楽になれるのだろうか。いくら信頼関係が強くても、ある日突然その関係がねじれて切れてしまったら、真っ先に捨てられるのはオメガなのに。オメガからは無理でも、アルファからならいつだって、番のオメガを切り捨てられるのに。俺を番にしたがっている、いや、番だと勝手に決めて確定している黛だって、いつ俺に興醒めするか分からない。そうなったら、サイコパス味のある彼のことだ。何の罪悪感も抱くことなく俺を捨てるだろう。

 瀬那は俺の番だよ、と言われても、洗脳するように言われ続けても、俺の中に僅かに残る正常な部分がブレーキをかけてくれる。ぶっ壊れても、ぶっ壊されても、噛んでほしいというオメガの欲求に犯されずに済んだのは、その機能がまだ、ギリギリ、生きていたからなんじゃないか。俺は、誰かの、黛の、番になる覚悟は決まっていない。あられもない姿で黛のことを求めて、求めて、求めたとしても、彼と番う覚悟は決まっていないのだ。

 発情期で理性を失ってしまった俺を、あの手この手で悦ばせ、空いた穴を零れそうなほどに満たしてくれた黛とは、あれから顔を合わせていなかった。淫らな自分の姿や声を見られ、聞かれてしまったため、できればこのまま会わない方が俺としては都合がいいが、同じ学校に通う同級生でクラスメートだ。会わないようにすることの方が難しいだろう。よって、彼をうまく躱して避けることなんてできるはずもなかった。

 黛の顔を見ても、俺は平然としていられるだろうか。平然と、素直に、発情の苦しみから救い出してくれたことに対して、感謝を伝えられるだろうか。何があっても顔色を変えないであろう黛のように。意識せずに言葉を舌に乗せられたらいいのに。