黛の沼に嵌まりかけている俺の耳に、彼の声が届いた。視線の先で、彼がペットボトルのキャップを開けている。まゆずみ、とからからに乾いた声で小さく呟くと、彼は、綺麗にしてあげるだけだよ、とキャップを持ったまま指の甲で俺の頬を撫でた。思わず目を眇め、でもすぐにうっとりとしてしまう俺の頭上には、透明な液体で満たされたペットボトルが。綺麗に、してあげるね、と洗脳するように繰り返した黛が、満タンに液体の入ったそれを、180度、ひっくり返した。と、分かったのは、頭の天辺に冷水がぶつかって、皮膚の上を流れ落ちてきたからだった。

 頭部から順に、全身が水に濡れていく。冷える頭に目が覚めるような感覚になったが、黛の手が濡れるのも構わずに俺の頬を柔く撫で続けるため、夢見心地からは抜け出せなかった。びしょ濡れにさせられ俺だけがめちゃくちゃに醜くなっても、これから黛にあの手この手で全身を愛でてもらえると思案したら、風紀を乱すような姿形をしていても全く気にならなかった。寧ろどうでもよくて、この穢れた身体を早く綺麗にしてほしくてたまらない。自分から臭う黛ではない男臭すら消してほしい。俺は黛に、包まれたい。抱かれたい。愛されたい。こんなの、こんなの、おかしい。おかしくない。おかしい。おかしくない。おかしい。気持ち悪い。

 水が落ち切り、気が堕ちかける。傾いた天秤はあまりにも脆く、澱みなく流れた水がまだそこで踏ん張っている気を道連れにするかのように、徐々に、徐々に、知らず知らずのうちに、見えない正気が真下へ滴り堕ちていくのを感じていた。