心を引き剥がされた上に、剥がしたそれをひっくり返されてしまえば終わりだった。そうなることが分かるくらいには気づき始めていた。だから、気づかないふりをした。俺は何も知らない。俺は何も見ていない。俺は何もおかしくない。最近はあまり触れられていないから、また触れてほしいなんて、そんなこと、思っていない。俺は、変じゃない。変なのは、黛だ。

 カバンの持ち手をギュッと握る。コンクリートを踏む足は重く、注意力も散漫になっている中、視界の端で、不自然なほどゆっくりと走行する黒い車を捉えた。その不審な車は、何を思ったのか、歩行している俺との距離を詰めてきたのだった。危険な運転に目が覚めるように頭が冴え、さっきまで考えていた黛のことが脳内から抜け落ちる。え、え、と困惑しながら反射的に足を止めてしまえば、車も一緒に停止した。訳が分からなかった。それでも、身の危険は感じていた。そしてその予感は、的中する。

 一歩後退る俺の前で、後部座席の、スライド式の扉が音を立てて開かれた。いよいよ危なくなってきて、車の進行方向とは逆の道に踵を返そうしたら、その中から伸びてきた手に腕を掴まれてしまい、ちょっと付き合ってよ、とにこにことは違うへらへらした顔で言ってそうな声と共に、呆気なく逃走を阻止された。腕力も意志も強くて、振り解けない。進みたい方向とは逆の力が加えられ、逃げられない。全身が粟立つ。目が泳ぐ。

 置かれた状況が理解できず混乱する俺を、車の中の住人は、一人じゃない数人の男たちは、強制的に自分たちの世界に引っ張り上げて連れ込んだ。恐怖のあまり声が出せず、頭から爪先まで車内に収められてしまったら最後、目の前で扉が閉まり、外界との接触を遮断された。