こうして。
様々な意味で実りの多かった、高校一年生の文化祭が終わった。
…ちなみに、残った鈴カステラは結月君に押し付けた。
めちゃくちゃ固辞していたけど、鞄に無理矢理突っ込んだら、さすがの結月君も降参だった。
そう、それで宜しい。
――――――…文化祭が終わって、僕は自宅に帰った。
「…ただいま」
「あぁ…お帰りなさい、結月」
そんな必要はないのに、母はわざわざ布団から起き上がってそう言った。
寝てて良いって言ってるのに。
「お休みの日なのに、学校に行って…疲れたでしょう?」
「大丈夫だよ。その代わり、明日は振替休日だしね」
「見に行けなくて、ごめんなさいね」
見に行けなくて、って。
僕は、思わず苦笑してしまった。
わざわざ見に来るようなものなんて、何もない。
小学校の音楽発表会でもなし。
「何も見るものなんてないよ。僕は部活の発表もないし」
「でも…クラスの出し物があったんでしょう?」
あのダンス発表のこと?
結局、最初から最後まで何が面白いのか、さっぱり分からない企画だった。
あんなことして何が楽しいんだろう?
まぁ、僕には関係のない話だけど。
「あったけど、僕は裏方仕事だから」
今年も僕は、目立たない地味な仕事を押し付けられたよ。
いつものこと。
いつものこと過ぎて、特に語ることない。
…あぁ、でも。
今年は、ちょっと違ったんだっけ。
まぁ、それも…わざわざ語るようなことでもないか。
それよりも。
「遅くなってごめん。洗濯物入れて…それから夕飯作るから」
僕はそう言って、鞄を床に置いた。
あ、そうだ。
「鈴カステラ、もらってきたんだった」
「鈴カステラ…?」
「そう、ペアの人に、何だか気前良くもらっちゃって」
要らないって言ったのに、無理矢理押し付けられてしまった。
何を考えていたんだか。あの人は。
「後で、温めて出すね」
「ありがとう。…いつもごめんなさいね」
何をまた。
「大丈夫ですよ」
決まりきったやり取りだ。
特別、珍しいことは何もない。
…でも。
今年は…例年よりも。
「…楽しかった?」
「え?」
唐突の母の問いに、僕は一瞬固まった。
楽しかったって…そんな。
「何だか楽しそうに見えたから…。今日は楽しかったの?」
…まさか。
あんな地味な裏方仕事をやらされて、楽しかったなんて。
マゾじゃないんだから。
「…別に、楽しくなんてないよ」
「そう…?」
…ただ、まぁ。
例年の文化祭よりは、マシな一日だったって。
それだけの話だ。
――――――…文化祭が終わった、翌週。
そろそろ、あの時期だ。
何の時期かって?
決まってるじゃない。
結月君との、月2デートの日だよ。
…この間文化祭で、二人で半日過ごしたんだから、あれをデートってことにしてくれないかな?
と思ったけど、世の中はそんなに甘くなかった。
正樹にちょっと打診してみたけど。
「いや、それはそれだろ」と言われた。
…ですよねー。
…畜生。あんた面白がって。
そんな訳で、私は二度目の結月君とのデートの為に。
まずは、結月君に声をかけてみることにした。
結月君の方からデートに誘ってくれたら、もうちょっと話は簡単なんだけど。
いや、だからって。
結月君から「夜景の見えるレストランに行こう」とか、「うちで家デートしよう」とか、そんな誘いを受けたら。
それはそれでぎょっとするから、やっぱり私の方から誘うべきなのかも。
本当奥手だよね。
結月君のこの奥手っぷりに、助けられてるんだか、困らされてるんだか。
ともかく、今回も私の方から誘ってみることにする。
私から言わなきゃ、多分永遠にデートが発生しない。
「ねぇ、結月君」
ある日の帰り道。
私は、結月君をデートに誘うことにした。
「はい、何ですか」
…しかし、あれだよね。
会話を始めるときも、大抵いつも私からだよね。
黙ってたら、延々と沈黙が続く。
こんなの、とてもお付き合いしてるカップルとは思えない。
まぁ私の場合、罰ゲームで付き合ってるだけだから、不思議じゃないのかもしれないけど…。
何考えてるか分からないんだよね、結月君って。
案外、難しいことは何も考えてないのかもしれない。
「今度デート行こうよ」
「あ、はい。またですか?」
またって。
前回行ったの、もう結構前だった気がするけど。
世の中のカップルって、どれくらいの頻度で週末デートするものなの?
カップルの仲良し度にもよるか。
その点私達は、まだまだスタートラインから一歩…踏み出したくらいかな?
まぁ、ゴールインするつもりはないから、別に良いんだけど…。
「駄目?」
「いえ、駄目じゃないですよ」
そっか、それは良かった。
ん?良かったのか?
じゃ、改めて。
「映画館行かない?」
今度は、前回と同じ失敗は犯さない。
出かけよう、じゃなくて。
何処何処に行こう、って誘う。
そうすれば、当日困ることはない。
「映画館…ですか」
と、ちょっと思案顔の結月君。
何?なんか…思うところでもあるの?
テレビは観ないって、前に言ってたけど。
結月君、映画は観るんだろうか。
実はすっごい映画通だったりして。
「僕、映画館って行ったことないんですよね」
って、そんなことはなかった。
映画通どころの騒ぎじゃない。
通どころか、行ったことすらないと言う。
今時の高校生で、映画館すら行ったことないって、マジ?
マジなの結月君。
嘘でしょ。映画館行ったことない人って、存在するの?
…いや、目の前に存在してるんだけど。
あんまりびっくりして、私は目を白黒させた。
凄いカルチャーショック。
映画館なんて、私、幼稚園の頃から行ってたよ。
今日まで映画館に行ったことがないなんて、結月君、どれだけ娯楽に乏しい生活してきたの。
あ、DVDレンタルして、家で観る派?
そういう人もいるか。
でも多分、予想だけど。
結月君の場合、家で観る派でもないと思う。
「…映画観ないの?結月君は」
「あ、はい…。滅多に観ないですね。観たとしても…テレビで放送されてるときに観るくらいで」
やっぱりね。
もういっそここまで来たら、結月君はこのまま、何物にも染まらない結月君であって欲しいよ。
冗談だけど。
「じゃあ、これを機に映画館デビューしてみない?楽しいわよ」
と、誘ってみたところ。
「…」
何だか、やっぱり思案顔の結月君。
…何だろう。気が乗らないのかな。
「…星ちゃんさん、そんなに観たい映画があるんですか?」
と、聞かれた。
「えっ…と…」
そう言われると…ちょっと返事に困る。
私は別に、観たい映画がある訳じゃなくて。
ただ単に、映画館デートなら話題に困ることはないっていう、真菜のアドバイスに従ってるだけで…。
別段…観たい映画がある訳では…。
「そ、そうだな…。特に観たい映画がある訳じゃないんだけど…」
「…」
何を観るかなんて、映画館に行ってから決めれば良いやと思ってた。
今は、何が上映されてるんだっけ?
恋愛モノじゃなきゃ何でも良い。
「…だったら、映画館は遠慮します」
えっ。
結月君、今何て?
「星ちゃんさんがどうしても観たい映画があるなら、付き合いますけど…。そうじゃないならやめておきます」
「あ、そ、そっか…」
ま…まさか断られるとは。
あれほど押しに弱い結月君が。断るときはきっぱり断るのね。
でも、何でそんなに頑なに、映画館デビューを敬遠するんだろう。
鋼の意志があるんだろうか。決して映画館には行かぬ!みたいな。
ぐぬぬ。
こんなことなら、嘘でも観たい映画をリクエストすれば良かったかな。
なんて、後悔しても仕方なかった。
断られてしまったものは、どうしようもない。
他に何か…デート案を見つけなくては。
何が良いだろう。
「じ、じゃあ何処に行こっか。えぇっと…。あ、ならカラオケでも行く?」
結月君と付き合うことになった、きっかけとなった場所だね。
しかし。
「カラオケですか…。実は行ったことないんです」
映画館に行ったこともない結月君は、なんとカラオケに行ったこともなかった。
衝撃の新事実。
むしろ、何処なら行ったことあるの?
ボウリングとか、ゲームセンターとか、その辺も行ったことなさそうだね。
だからってなぁ…結月君と遊園地デートは重いし…。
…動物園や水族館も、重いな。
じゃあ、他に行けるところ…。
「あ、スイーツバイキングとかどう?確か、駅前のホテルにあるレストランで、スイーツバイキングやってるって真菜が…」
「…遠慮します」
駄目だった。
えぇ…?何で駄目なの?
何かこだわりがあるとか?
「…何処なら良いの?」
いっそ、結月君の意見を採用した方が良いかもしれない。
「そうですね…。何処でも良いんですけど、恥ずかしながら僕はお金に余裕がないので、お金のかからないところにして欲しいんです」
「…」
あっけらかんと、何事もなかったように言われ。
知り合いや友達に、そんなことを言われたのは初めてで。
私はポカンとして、結月君の顔をまじまじ見つめてしまった。
…正直、「映画館行ったことない」よりもびっくりした。
…そりゃ、私だってたまにあるよ?
今月新作のコスメを買い過ぎたり、ライブに行ってグッズを買いまくって、金欠になったり。
「あー、今月ピンチだ〜」と真菜達に愚痴ることもしばしば。
そんなときは、セルフ質素倹約令とばかりに。
学校帰りのコンビニスイーツを我慢したり、フリマアプリで要らないものを売って小金を作ったり、遊びに行く回数を減らしたり。
そんな工夫をして、来月まで細々と暮らすの。
あるいは、お母さんに追加のお小遣いを無心することもある。
そんなときお母さんは、「全くもう…」とか言いながら。
お皿洗いや風呂掃除、庭の草むしりと引き換えに、追加のお小遣いを渡してくれる。
そういうことは、私だってたまにあるよ?
…あるけど。
でも、結月君の場合…。
そういうことじゃない…ん、だよね?この言い方だと…。
今月金欠だから無理、って訳じゃなくて…。
「え、と…それは…来月になっても無理ってこと?今月ピンチだから、じゃなくて?」
「はい」
「お小遣いもらってないの?」
我ながら、結構失礼なことを聞いてしまった。
つい口をついて出てしまった。
けど、結月君は涼しい顔で答えた。
「そうですね。必要なものがあるときは、その都度申告してから買う家庭なので」
「…」
…マジか。
毎月、月が変われば自動的に定額でお小遣いがもらえる家庭で育った私には、考えられない。
欲しいものがあるとき、いちいち親に頼まなきゃならないってこと?
めちゃくちゃ面倒じゃん。
ふいっと立ち寄ったお店で、衝動買いしたくなったときとかどうするんだろう。
いちいち家に帰って、親に申告しなきゃならないの?
それじゃあ、もう衝動買いじゃないよ。計画的な買い物だよ。
私には、とても耐えられそうにない。
「正直うちは、あまり余裕がある訳じゃないので。僕が遊びに行く為だけに、余計な出費をさせたくはないんです」
「…」
恥ずかしいことではないとばかりに、あまりにさらっと言われて。
私は呆気に取られてしまった。
それってつまり、要するに。
「うちは貧乏で、お小遣いももらってないから、お金のかかる遊びは出来ません」って宣言してるようなもの。
バイトをしようにも、うちの学校はバイト禁止で、バレたら厄介なことになる。
しかし、そういうことを恥ずかしがらず、隠すこともなく、きっぱり言ってしまえるのは凄いと思う。
潔いなって。
私だったら多分、恥ずかしくてそんなこと知り合いには言えない。
でも…そうね。
それならそうと、いっそはっきり伝えてくれた方が…コソコソ隠さずに済むから良いのかも…。
成程、そっか。
結月君家って、貧乏だったんだ。
…なんか、身も蓋もない言い方だけど。
そう言われたら、納得することが色々ある。
そもそも結月君は、成績優等生だけに与えられる、学費免除枠で入学してる訳だし。
わざわざ学費免除枠で入学したのは、学費がかからない学校に入りたかったからなのか。
それだけじゃない。
どんなときでも、頑なに水筒とお弁当を持ってきて。
購買部で買い食いしたり、自販機で飲み物を買ったりもしない。
そもそも、学校に財布を持ってくることもない。
エコだなと思ってたけど、あれはエコって言うより。
単なる節約の一環だったんだ。
前回のデートだって、入園無料の自然公園だったもんね。
もしかして、映画館に行ったこともカラオケに行ったこともないのも、それが理由?
厳しい家庭だからじゃなくて、単にお家が貧乏だから?
…そう思うと。
何だか結月君が、凄く可哀想に思えてくる。
…大変なんだな…結月君も…。
裕福ではないけど、決して貧しいとは言えない家庭に育った私では、とても理解出来ないようなことが。
きっとこれまで、結月君の身にはたくさん起きたんだろうな。
何て言えば良いんだろう?
「大変だね」とか?「苦労してるんだね」とか?
何を言っても、皮肉に聞こえそう…。
それで結局、何も言えずに黙り込んでしまった。
すると。
「…そんな訳ですから、星ちゃんさん」
何も気にしてないみたいな顔で、結月君は言った。
「出かけるなら、ハイキングにでも行きませんか?」
え?
「は、ハイキング…?」
「はい。○○町にある初心者向けのハイキングコースに。今は、紅葉が見頃だそうです」
あ、成程…。山登りか。
確かに、それからお金は大してかからないよね。
突き詰めればハイキングなんて、ただ歩くだけだし。
「僕、今度はフルーツサンド作っていきますから。山頂で食べましょう」
…結月君…。
結月君は、結月君なりに。
お金のかかる遊び場所には行けないけど、その代わり何処なら一緒に行けるか。
お金をかけずに、少しでも楽しめるように…色々考えてくれてるんだ。
彼のその気遣いに、悲しいような、嬉しいような。
何とも言えない気分になった。
でも…うん、そうだね。
折角結月君が「ここなら行けるよ」って、自分から言ってくれてるんだし。
だったら、私もそれに応えないと。
別に良いや、映画館は。
そもそも私の発案じゃないし。さっきも言った通り、何か観たい映画がある訳でもない。
どうしても行きたいなら一人で行くか、真菜達を誘えば良いんだし。
折角結月君と出かけるから、結月君としか行けないところに行こう。
真菜や海咲に、「ハイキングに行こう」なんて言ったって。
多分二人共びっくりして、そして大笑いするだけだろう。
「一体どういう風の吹き回し?」ってね。
ハイキングなんて、行くの初めてだけど。
たまにはそういう経験も悪くない。