その後私は、真菜と海咲に連れられて、宣言通り軽音部のライブを観に行った。
それだけじゃなくて、真菜達に勧められるままに。
お化け屋敷とか脱出ゲームとか、やたら時間のかかるアトラクションに参加し。
かと思えば、行列の出来てるフレンチトーストの屋台に並んで、たっぷり時間をかけてフレンチトーストを買いに行ったり。
何だか、わざとゆっくりしてるんじゃないかとさえ思った。
正直、私は内心焦っていた。
早く戻らないと。
今頃結月君、一人で作業してるんだから。
「じゃあ、次は…あ、そうだ。Aクラスの喫茶店にでも入らない?」
と、真菜が提案した。
喫茶店なんて。
入ったら、絶対ぺちゃくちゃお喋りに夢中で、無駄に時間を潰すじゃない。
「私、そろそろ戻るわ」
私はすかさずそう言った。
このままズルズル流されて、喫茶店にまで入っちゃったら。
本当に、戻る頃には作業が終わっちゃってる。
それなのに。
「え?何で?」
と、真菜と海咲は首を傾げた。
何でって…。
二人はもう、今日やるべきことは終わったから、好きなだけ遊んでて良いかもしれないけど…。
私は…私と結月君の仕事は、まだ終わってないんだよ。
むしろ、今が一番大変なときなの。
「結月君手伝わなきゃ。だから戻る」
「えぇ、良いじゃん別に」
何が良いのよ。
「そうそう、三珠クンがやってくれるって言ってるんだからさぁ、任せておきなよ」
「…そんな訳にはいかないわよ」
ただでさえアンケート用紙を作る段階から、ほぼ結月君に任せっぱなしなのに。
集計作業くらいは、ちゃんと付き合わなきゃ。
それだって、こうして私だけサボってるんだし。
さすがにこれ以上は無理。
「私、戻るわ」
「ふーん…」
「真面目だねー、星ちゃん…」
二人は意外そうな顔で私を見ていた。
私が真面目とは。面白い冗談だ。
私が真面目なら、その真面目な仕事を、当たり前のようにこなしている結月君はどうなるのよ。
結月君が真面目なんじゃない。
これまでの私が、ずっと怠惰だったのよ。
…空き教室に戻る途中。
「…あっ」
私は一つ気がついて、悪いと思いながら、ほんの少し寄り道をした。
「結月君!お待たせ」
私は、駆け足で空き教室まで戻った。
すると。
「あ、お帰りなさい…」
テーブルの上を見て、私はあっ、と思った。
アンケート用紙が並んでいたテーブルは、すっかり片付けられ。
大きな表の紙一枚だけが残っていた。
ま、まさか。
「も、もう終わっちゃった…?」
「はい。今しがた終わったので…後片付けをしていたところです」
…あぁ…終わっちゃってた…。
私がグズグズしてる間に…。
私は、ガックリと肩を落とした。
何やってるのよ。
結局、結月君一人に任せたようなものじゃない。
手伝うどころか、結局私だけ逃げることになって。
申し訳無さでいっぱいだ。
「ごめん…。出来るだけ早く戻るつもりだったんだけど…」
「あ、そんなこと気にしてたんですか?」
気にするよ。当たり前じゃない。
「大丈夫ですよ。なんか勢いでささっと済ませちゃいました」
そうね。
私がいなくても、結月君はささっと終わらせちゃえるんだろうけど。
少しでもそれを手伝えなかった私は、いてもいなくても変わらない無能ってこと。
はぁ…。
「気にしないでください。外…楽しかったです?ライブ観に行ったんですよね」
「うん…」
「良かったですね。見逃さずに済んで。やっぱり年に一回のことですから、見逃したら損ですよ」
その、年に一回のことを。
君は毎年、こんな風に過ごしてるんでしょ?
それを知ったからには、結月君を放り出して文化祭を楽しめる訳がない。
あぁ、やっぱり、無理にでも早く帰ってくるべきだった…。
今更後悔しても、後の祭り。
せめて少しでもフォローに回るしかない。
「…結月君、これ」
「はい?」
「カステラ買ってきたの。鈴カステラ。一緒に食べよ」
こんなものを買う為に、さっき少しだけ寄り道してたんだ。
今思えば、そんな寄り道をせず、急いで戻ってきていれば。
せめて後片付けだけでも手伝えたかもしれないのに。
でも、今更そんなこと言ったって仕方ない。
それに、こうせずにはいられなかった。
今日一日、いや…準備期間も含めて。
私なんかより、ずっと真面目に働いてくれた結月君に。
少しでも労いが必要だと思ったから。
「ほら、頭使ってるでしょ?糖分は必要だよ」
「え、いや、でも…。僕お金持ってないですから」
何それ。
私がお金請求すると思ったの?それはちょっと失礼でしょ。
「奢りに決まってるじゃない。さ、食べよ」
「でも、それは星ちゃんさんが買ってきたものなんですから、僕は遠慮、」
「しなくて良いの。私、今回ずっと結月君に助けられっぱなしだったんだから。せめてこんな形でも…何かお礼させて」
鈴カステラくらいじゃ、とてもお礼にならないけどね。
でも、何もないよりマシ。
「そんな、お礼なんて必要ないですよ。僕は自分の役目を果たしただけですから。僕に気を遣わ、むぐっ」
「はいはい、お疲れ様でしたー」
私は、あれこれ言って固辞しようとする結月君の口に鈴カステラを押し込んだ。
こうなったら、強行突破だ。
嫌だって言っても食べてもらうからね。
「もぐ…もぐ」
「どう?美味しい?」
「ごくん…。…はい、久し振りに食べました。鈴カステラ…」
それは良かった。
「じゃあどんどん食べて。もう閉店間際だからって、たくさん入れてもらったのよ」
私はテーブルの上に、鈴カステラの袋を広げた。
幸い、もうやるべきことは終わってるんだし。
結月君が終わらせてくれたからね。
こうして鈴カステラ食べてたって、誰にも文句は言われない。
「いや、ですけど…」
まだ断ろうとしてる。
意固地。
「これ全部私に食べさせて、私を太らせるつもり?」
「え」
「そうは行かないからね。ちゃんと結月君も手伝って、はい」
私は、なおも強行突破とばかりに。
結月君の口に鈴カステラを押し込んだ。
自分から食べないなら、こうして無理矢理食べてもらうから。
「むぐ、た、食べる…自分で食べますから」
「食べる?自分で食べるの?」
「食べます…だから、無理矢理押し込まないでください」
「うん、宜しい」
じゃ、自分で食べてね。
少なくとも半分は結月君のノルマだから。
ノルマ達成出来なかったら、また口に押し込む。
結月君が押しに弱いタイプで良かった。
今だけはそう思う。
「…あの、えぇと…ありがとうございます、星ちゃんさん…」
「何それ。お礼を言うべきはこっちでしょ?」
ほぼ全部、結月君に仕事任せちゃってるんだから。
鈴カステラ一袋くらいじゃ、全然お礼にはならないわ。
「…」
一つ二つと、鈴カステラを摘んで。
「…今日は、星ちゃんさんと一緒の係で良かったです」
と、結月君は呟いた。
うん?
「どうしたの?いきなり…」
「いえ…。ふとそう思っただけです」
何それ。
「そんなに、鈴カステラ美味しかった?」
「いや、鈴カステラは抜きにして…」
「…?」
「…何でもないです」
どうしたのよ。
何でもないことないでしょ。
そっか。私と一緒で良かった…か。
私なんて、ちっとも戦力になってないはずなんだけどなぁ。
でも、そう思ってくれて良かった。
ちょっとだけ罪悪感が薄れた。
「私も、結月君と一緒で良かったと思ってるよ」
今だけは本心からそう思えた。
あんなに嫌だったはずなのにね。不思議だ。
こうして。
様々な意味で実りの多かった、高校一年生の文化祭が終わった。
…ちなみに、残った鈴カステラは結月君に押し付けた。
めちゃくちゃ固辞していたけど、鞄に無理矢理突っ込んだら、さすがの結月君も降参だった。
そう、それで宜しい。
――――――…文化祭が終わって、僕は自宅に帰った。
「…ただいま」
「あぁ…お帰りなさい、結月」
そんな必要はないのに、母はわざわざ布団から起き上がってそう言った。
寝てて良いって言ってるのに。
「お休みの日なのに、学校に行って…疲れたでしょう?」
「大丈夫だよ。その代わり、明日は振替休日だしね」
「見に行けなくて、ごめんなさいね」
見に行けなくて、って。
僕は、思わず苦笑してしまった。
わざわざ見に来るようなものなんて、何もない。
小学校の音楽発表会でもなし。
「何も見るものなんてないよ。僕は部活の発表もないし」
「でも…クラスの出し物があったんでしょう?」
あのダンス発表のこと?
結局、最初から最後まで何が面白いのか、さっぱり分からない企画だった。
あんなことして何が楽しいんだろう?
まぁ、僕には関係のない話だけど。
「あったけど、僕は裏方仕事だから」
今年も僕は、目立たない地味な仕事を押し付けられたよ。
いつものこと。
いつものこと過ぎて、特に語ることない。
…あぁ、でも。
今年は、ちょっと違ったんだっけ。
まぁ、それも…わざわざ語るようなことでもないか。
それよりも。
「遅くなってごめん。洗濯物入れて…それから夕飯作るから」
僕はそう言って、鞄を床に置いた。
あ、そうだ。
「鈴カステラ、もらってきたんだった」
「鈴カステラ…?」
「そう、ペアの人に、何だか気前良くもらっちゃって」
要らないって言ったのに、無理矢理押し付けられてしまった。
何を考えていたんだか。あの人は。
「後で、温めて出すね」
「ありがとう。…いつもごめんなさいね」
何をまた。
「大丈夫ですよ」
決まりきったやり取りだ。
特別、珍しいことは何もない。
…でも。
今年は…例年よりも。
「…楽しかった?」
「え?」
唐突の母の問いに、僕は一瞬固まった。
楽しかったって…そんな。
「何だか楽しそうに見えたから…。今日は楽しかったの?」
…まさか。
あんな地味な裏方仕事をやらされて、楽しかったなんて。
マゾじゃないんだから。
「…別に、楽しくなんてないよ」
「そう…?」
…ただ、まぁ。
例年の文化祭よりは、マシな一日だったって。
それだけの話だ。
――――――…文化祭が終わった、翌週。
そろそろ、あの時期だ。
何の時期かって?
決まってるじゃない。
結月君との、月2デートの日だよ。
…この間文化祭で、二人で半日過ごしたんだから、あれをデートってことにしてくれないかな?
と思ったけど、世の中はそんなに甘くなかった。
正樹にちょっと打診してみたけど。
「いや、それはそれだろ」と言われた。
…ですよねー。
…畜生。あんた面白がって。
そんな訳で、私は二度目の結月君とのデートの為に。
まずは、結月君に声をかけてみることにした。
結月君の方からデートに誘ってくれたら、もうちょっと話は簡単なんだけど。
いや、だからって。
結月君から「夜景の見えるレストランに行こう」とか、「うちで家デートしよう」とか、そんな誘いを受けたら。
それはそれでぎょっとするから、やっぱり私の方から誘うべきなのかも。
本当奥手だよね。
結月君のこの奥手っぷりに、助けられてるんだか、困らされてるんだか。
ともかく、今回も私の方から誘ってみることにする。
私から言わなきゃ、多分永遠にデートが発生しない。
「ねぇ、結月君」
ある日の帰り道。
私は、結月君をデートに誘うことにした。
「はい、何ですか」
…しかし、あれだよね。
会話を始めるときも、大抵いつも私からだよね。
黙ってたら、延々と沈黙が続く。
こんなの、とてもお付き合いしてるカップルとは思えない。
まぁ私の場合、罰ゲームで付き合ってるだけだから、不思議じゃないのかもしれないけど…。
何考えてるか分からないんだよね、結月君って。
案外、難しいことは何も考えてないのかもしれない。
「今度デート行こうよ」
「あ、はい。またですか?」
またって。
前回行ったの、もう結構前だった気がするけど。
世の中のカップルって、どれくらいの頻度で週末デートするものなの?
カップルの仲良し度にもよるか。
その点私達は、まだまだスタートラインから一歩…踏み出したくらいかな?
まぁ、ゴールインするつもりはないから、別に良いんだけど…。
「駄目?」
「いえ、駄目じゃないですよ」
そっか、それは良かった。
ん?良かったのか?
じゃ、改めて。
「映画館行かない?」
今度は、前回と同じ失敗は犯さない。
出かけよう、じゃなくて。
何処何処に行こう、って誘う。
そうすれば、当日困ることはない。
「映画館…ですか」
と、ちょっと思案顔の結月君。
何?なんか…思うところでもあるの?
テレビは観ないって、前に言ってたけど。
結月君、映画は観るんだろうか。
実はすっごい映画通だったりして。
「僕、映画館って行ったことないんですよね」
って、そんなことはなかった。
映画通どころの騒ぎじゃない。
通どころか、行ったことすらないと言う。
今時の高校生で、映画館すら行ったことないって、マジ?
マジなの結月君。
嘘でしょ。映画館行ったことない人って、存在するの?
…いや、目の前に存在してるんだけど。
あんまりびっくりして、私は目を白黒させた。
凄いカルチャーショック。
映画館なんて、私、幼稚園の頃から行ってたよ。
今日まで映画館に行ったことがないなんて、結月君、どれだけ娯楽に乏しい生活してきたの。
あ、DVDレンタルして、家で観る派?
そういう人もいるか。
でも多分、予想だけど。
結月君の場合、家で観る派でもないと思う。
「…映画観ないの?結月君は」
「あ、はい…。滅多に観ないですね。観たとしても…テレビで放送されてるときに観るくらいで」
やっぱりね。
もういっそここまで来たら、結月君はこのまま、何物にも染まらない結月君であって欲しいよ。
冗談だけど。
「じゃあ、これを機に映画館デビューしてみない?楽しいわよ」
と、誘ってみたところ。
「…」
何だか、やっぱり思案顔の結月君。
…何だろう。気が乗らないのかな。
「…星ちゃんさん、そんなに観たい映画があるんですか?」
と、聞かれた。
「えっ…と…」
そう言われると…ちょっと返事に困る。
私は別に、観たい映画がある訳じゃなくて。
ただ単に、映画館デートなら話題に困ることはないっていう、真菜のアドバイスに従ってるだけで…。
別段…観たい映画がある訳では…。
「そ、そうだな…。特に観たい映画がある訳じゃないんだけど…」
「…」
何を観るかなんて、映画館に行ってから決めれば良いやと思ってた。
今は、何が上映されてるんだっけ?
恋愛モノじゃなきゃ何でも良い。
「…だったら、映画館は遠慮します」
えっ。
結月君、今何て?
「星ちゃんさんがどうしても観たい映画があるなら、付き合いますけど…。そうじゃないならやめておきます」
「あ、そ、そっか…」
ま…まさか断られるとは。
あれほど押しに弱い結月君が。断るときはきっぱり断るのね。
でも、何でそんなに頑なに、映画館デビューを敬遠するんだろう。
鋼の意志があるんだろうか。決して映画館には行かぬ!みたいな。
ぐぬぬ。
こんなことなら、嘘でも観たい映画をリクエストすれば良かったかな。
なんて、後悔しても仕方なかった。