昇降口で、見憶えのある姿がこちらを振り返った。相手は目を見開き、「水月?」と呟いた。調子にのって「世界の誕生は待ち遠しかったかい?」と返すと、千葉は大股でこちらに寄ってきて、俺の体や顔なんかを慌ただしく、けれどもまじまじと見つめてきた。
「水月だ、水月じゃん!」
「寂しかった?」
「ていうか、調子は平気なの?」
「お祝いに抱擁でもするかい?」とふざけると、彼はそれとなく距離をとった。
千葉はなにやら、不規則に、けれども迷いなく、がしゃがしゃと靴箱の扉を開いては閉じていった。
「素晴らしい」といってこちらを向き直る。その表情は明るい。「あいつら全員きてるよ」と肩越しに靴箱を親指で示す。
「早く顔を見せてやろう。てんやわんやのてんてこまい、お祭り騒ぎの底抜け騒ぎになるぞ。紅林なんかは泣きだすかもしれん」
「まさか」と笑い返すと、「あいつが一番気にしてた」と千葉は真面目な調子でいった。
俺が上履きに履き替えたあと、千葉が肩に手をのせてきた。
「おかえり」という静かな声に、「ただいま」と答える。無意識に口角があがった。
「この喜びを、五分前に組み立てられたことに対するもんだなんて、いってくれるなよ」
「ああ……五分というには、ちょっと長かった」
「この人生はちゃんと一回目だよな?」とちょっと笑っていう千葉に、俺は「たぶん」と答える。
教室に入ってみると、紅林が目ざとくこちらに気がついた。丸い目を大きく開いてこちらに駆け寄ってくる。
「花車! 無事だったんだ! 動いて大丈夫なの?」
「映画にでてくるような美少年じゃないんだ」と俺は苦笑する。「俺はただの美少年だ」とふざけると、見事なまでに白けた。大げさにうんざりした顔をしてくれるでもない。
「おまえは一遍、水に映る自分を見てみるといい」
「水月だけに?」
「そっちじゃない」
紅林が「ナルキッソスだ」と千葉に人差し指を向けると、千葉はテンポよく「ご名答」と返して指を鳴らした。
「花車には自己愛も自惚れてるところもないだろう」と谷本が入ってきた。
それはどうだろう、と肩をすくめるより先に、「どういう意味?」と尋ねる。
「水仙の花言葉だよ。ナルキッソスは水の中の自分への恋に落ちるが、のちには水自体に落ちるんだ。で、生前のナルキッソスがいたところに水仙が咲いた。それを由来に、水仙には自惚れとか自己愛とかいう花言葉がついてる」
それを知っていることがなんでもないように話した谷本を、千葉が「ロマンチストだねえ」とからかう。
「おまえ花言葉とか詳しいんだ?」
「なんかでたまたま知っただけだ」
それより——。「ここはいつから神学校になったんだ?」
「大げさな」と谷本がふざけた口調でいう。「いくら俺だってそんなに賢くない」
「進学校じゃないんだよ」と苦笑しながら、なんとも懐かしい気持ちになる。今までに幾度となく感じてきた、驚きを孕んだ独特な寂しさ。みんな、俺の知らないことをよく知っている。みんな、俺の出会わずにきたものに出会っている。
「水月だ、水月じゃん!」
「寂しかった?」
「ていうか、調子は平気なの?」
「お祝いに抱擁でもするかい?」とふざけると、彼はそれとなく距離をとった。
千葉はなにやら、不規則に、けれども迷いなく、がしゃがしゃと靴箱の扉を開いては閉じていった。
「素晴らしい」といってこちらを向き直る。その表情は明るい。「あいつら全員きてるよ」と肩越しに靴箱を親指で示す。
「早く顔を見せてやろう。てんやわんやのてんてこまい、お祭り騒ぎの底抜け騒ぎになるぞ。紅林なんかは泣きだすかもしれん」
「まさか」と笑い返すと、「あいつが一番気にしてた」と千葉は真面目な調子でいった。
俺が上履きに履き替えたあと、千葉が肩に手をのせてきた。
「おかえり」という静かな声に、「ただいま」と答える。無意識に口角があがった。
「この喜びを、五分前に組み立てられたことに対するもんだなんて、いってくれるなよ」
「ああ……五分というには、ちょっと長かった」
「この人生はちゃんと一回目だよな?」とちょっと笑っていう千葉に、俺は「たぶん」と答える。
教室に入ってみると、紅林が目ざとくこちらに気がついた。丸い目を大きく開いてこちらに駆け寄ってくる。
「花車! 無事だったんだ! 動いて大丈夫なの?」
「映画にでてくるような美少年じゃないんだ」と俺は苦笑する。「俺はただの美少年だ」とふざけると、見事なまでに白けた。大げさにうんざりした顔をしてくれるでもない。
「おまえは一遍、水に映る自分を見てみるといい」
「水月だけに?」
「そっちじゃない」
紅林が「ナルキッソスだ」と千葉に人差し指を向けると、千葉はテンポよく「ご名答」と返して指を鳴らした。
「花車には自己愛も自惚れてるところもないだろう」と谷本が入ってきた。
それはどうだろう、と肩をすくめるより先に、「どういう意味?」と尋ねる。
「水仙の花言葉だよ。ナルキッソスは水の中の自分への恋に落ちるが、のちには水自体に落ちるんだ。で、生前のナルキッソスがいたところに水仙が咲いた。それを由来に、水仙には自惚れとか自己愛とかいう花言葉がついてる」
それを知っていることがなんでもないように話した谷本を、千葉が「ロマンチストだねえ」とからかう。
「おまえ花言葉とか詳しいんだ?」
「なんかでたまたま知っただけだ」
それより——。「ここはいつから神学校になったんだ?」
「大げさな」と谷本がふざけた口調でいう。「いくら俺だってそんなに賢くない」
「進学校じゃないんだよ」と苦笑しながら、なんとも懐かしい気持ちになる。今までに幾度となく感じてきた、驚きを孕んだ独特な寂しさ。みんな、俺の知らないことをよく知っている。みんな、俺の出会わずにきたものに出会っている。