あんたのせい、というには、勇気が必要だった。葉月だって、それほど悪いやつじゃない。俺のせいだ、と、今にも泣きだすのではないかと怖くなるような調子でいうのが苦しかった。

 葉月はいつか、大切な人から自由を奪わないために恋をしないといっていた。その自由を奪った相手というのは、水月のことなのかもしれない。あれを聞いた瞬間は、せいぜい奪った自由を必死に返せばいいと腹を立てたけれど、彼はもう充分、苦しんでいたかもしれない。

 水月がまるで葉月を恨めしく思っていないのを知っている。だからこそ、葉月の話は聞いているのが苦しかった。

 水月。葉月。二人はやはりきょうだいだ。話し方がそっくりだった。二人とも、聞きづらいというか、わかりづらい話し方をする。二人とも嘘はついていない。

事実を辿っているのだけれど、なんとも飾りが多いというか、誇張しているところがあるというか、とにかく、聞き手にとって真相を把握するのが難しい話し方をする。

照れ隠しのようなものなのか、本当に普通に話していてあんな感じなのか。

 わたしは本人がいっていた通り、水月には自信があったのだと思う。確かに葉月は水月の背中を押した。結果、水月は二次審査に進むことなく落選した。葉月はそれがすべてだと思っている。

 けれども、本当のところはそうではないのではと思う。

 葉月は、悪魔はその気のない天才を無理に奮い立たせ、望んでもいない大空へ飛ばしたのだといった。悪魔の抱擁は天才を愛しながら堕落させたと。要は葉月が水月に、コンテストへの参加を強いたということだろう。

 けれども、本当にそうなのだろうか。わたしはやはり、水月の心底(しんてい)には自信があったのだと思う。

 葉月は、自分たちの母親は『驕ってはいけない』『特別な人なんていない』というのが口癖だといった。

 わたしは、水月がその言葉を肝に銘じるのが、ちょっと深かったのではないかと思う。心底にある自信を、驕ってはいけない、特別な人なんていないという言葉で覆い隠していたんじゃないかと。あるいは、水月の性格によっては、その言葉を深く刻みこむあまり、自信を持つことに臆病になっていたのではないかと思う。

 そんな水月にとって、葉月のいうところの悪魔の抱擁(、、、、、)——いや、無理に奮い立たせ、望んでもいない大空へ飛ばした、というところか——は、自信を持つことの理由になったのではないかと思う。

 葉月がすごいといってくれる、コンテストにだすことをすすめるほど認めてくれている、それが、水月にとっては嬉しかったのではないだろうか。

 葉月に見せた、その気のない態度は——いい方は悪いかもしれないけれど——葉月の信頼を試していたのではないか。本当に大丈夫かな、と葉月に訊いていたのだ。

 葉月はそのたびに、大丈夫だよ、水月はすごいんだといった。それは少しずつ、水月の心底に落ちた自信の種の栄養になった。やがてそれは芽をだし、背を高くして、何本も何本も枝を分岐させ、最終的には花を咲かせた。

その花には、水月の自信だけじゃなく、葉月の期待に信頼に応えようという気持ちも含まれていた。そしてなにより、誰にでもある当然の願望——自分を見てほしいという願いがあった。

 その花は新しい種を作って、風がそれを遠くへ飛ばした。けれども芽はでなかった。

 水月の自信と、葉月の無償の信頼と期待への返礼、誰かに認められたいという当然で切実な願い、それらをのせた一枚を、相手は評価しなかった。

水月が受け入れてほしかったそれらは、あまりに乾いた土の上に落ちてしまった。水はけのいい土を好む植物も、乾燥したところでは大きくなれない。