母と三人で買い物にでかけたときだった。夕飯の献立を一緒に考えてほしいといって買い物に連れられることはよくある。その中の一度のことだった。

 車をおりてから、水月の声に「葉月」と呼ばれ振り返ると、彼は隣にきて、手を繋いできた。戸惑うままに「ええ、なに」とつぶやくと、「手を繋ぐとボケないらしい」と水月はいった。「まだ早えよ」とはいったものの、離すには相手の力が強かった。

 それからというもの、水月はどこへいくにも俺の手を握ってきた。

 ある日の風呂あがり、コンセントにドライヤーのプラグを挿したところで水月が脱衣場に入ってきた。俺は着替えも完全に済ませているくせに、「きゃあ」と体を隠すふりをしてみた。

「大きくなったなあ」と水月はふざけた調子でいった。「子供の頃は一緒に入ってたのに、嬉しいやら寂しいやら」と。

 水月は洗面台の水栓をひねり、「葉月でよかった」といった。間違いなく、ここにいるのが俺であることは知っている。

 「父さんだったらぶちのめされてたな」とおふざけにのっかると、「本当」とうなずきかけて、水月は噴きだした。

 「それ、むしろこっちがぶちのめしてほしいね」

 「湯あがり父さん……一瞬でも早く忘れたいな」

 「でもあれだよ、意外と引き締まってるかもよ」

 「それはないだろ、夕食後に煎餅食ってんだぞ」

 「あれが中年男性の美しき体型の秘密なんだよ」

 「食前じゃなく食後に塩じゃなく醤油がいいと」

 二人でちょっと笑ってから、俺は水を止めた水月に「あのさ」と声をかけた。

 「最近、でかけると手、繋いでくるのなんなの?」

 「……いや?」

 「え?」ちょっと考えて、嫌か、と訊かれたのだとわかった。

 「嫌っていうか……」知り合いに遭遇したくはない。

 「俺たちの仲のよさを——」見せつけてやろうと思って、とでもいおうとしたのであろう水月を咎めるように見る。水月は小さく苦笑した。

 「いや、なんていうか……。別に大したことじゃないんだけどさ」

 「じゃあなに」

 「いやあ、なにってわけでも……」

 水月はへたくそにはぐらかしながら、様子を窺うように俺を見た。

 「それまでなんでもなかった恋人でもない二人がわけもなく手、繋がないだろ」

 水月はふっと微笑んだ。「俺たちは家族だよ。恋人よりずっと親密じゃないか」

 「茶化すな」

 彼は手をすぼめてそれを片目で覗きこみ、すぐにやめた。

 「ちょっと、……歩きづらいんだ」

 「歩きづらい?」

 水月はもったいぶるようでもなく、黙りこんだ。

 「その、……なんか……でかけると、目が……見づらくなる」

 途端、直前の水月の仕草が意味を持った。

 「……いつから」

 「この間、母さんと三人で買い物にいったとき」

 「今は」と重ねて尋ねると、水月は何度かうなずいた。「問題ない」と。

 「外にでたときだけなんだ」

 「……病院、いった方がいいんじゃないか」

 「好きじゃないんだけど」と顔をしかめる彼に「いってる場合か」と返す。

 ふと、三人での買い物からもう何日か平日を挟んでいることに気がついた。

 「え、おまえ学校はどうしてるんだ?」

 水月は黙ってかぶりを振った。「いってない」

 「母さんたちは知ってるのか?」

 「母さんにはいった。診てもらえっていわれたけど、そのうち治ると思って……」

 「痛みとかごろごろするとかないの?」

 「そういうのはなんにも。家でも、出先でも」

 痛みや異物感があるといわれても、いえることは変わらないのだけれど。

 「とにかく、診てもらった方がいい」

 「そうかなあ」と水月はしんみりとつぶやいた。