あれはあくまでも、一番幸せで、一番満ち足りた瞬間(、、)だった。

 水月はあまりにからりとした声で、軽やかにいった。

 鉛玉でも飲みこんだように、息ができなくなった。声がでなかった。

 「通んなかった」——。

 胸の奥は激しく拒絶しながら、頭の中があまりに冷静に、その残酷な言葉の意味を理解した。

 「まあ、これからも細々と描いていくよ」と水月はなんでもないように笑った。その笑顔の意味がわからなかった。どうして笑えるんだ。どうしてそんなにもあっさりしているんだ。どうしてそんな、冷静でいられるんだ。

そんな、まるで当然のことのように。受賞を確信していた俺が、水月から受賞を知らされたって、もう少し感情的になる。

 どうして、どうしてそんなに——。

 おまえは、一体なにを考えている?

 水月がぽんと肩を叩いた。

 「なに、葉月がそんな顔をすることはない」となんでもないようにいう。

 「家でひっそり、葉月に見守られながら描いてるのがお似合いだっていう、天の思し召しだよ」

 「……納得、してんの?」

 「反発する理由はないよ」と、水月は不思議そうに俺を見て、肩を持ちあげた。

 言葉がでなかった。納得、とは自分でいったことだけれども、納得とか反発とか、そういうことではない。おまえはどうして、そんなに冷静に、この事実を受けとめられるんだ。

 「家でだって絵は描ける。無名だって絵は描ける。それでいいんだよ。大きな変化なんて、最初から望んじゃいない」

 「ああ……」

 俺だってそうだ。大きな変化は望んじゃいない。ただ、なんだ? 水月の絵が賞賛されることが、そんなに大きな変化なのか? 本物が本物として輝くことは、そんなにも奇妙なことか?

いや、そんなことはないはずだ。

では、水月がそもそも本物ではなかったというのか? いいや、そんなはずはない。水月の絵は素晴らしい。間違いない。水月は俺とは違う。凡人じゃない。特別な才に恵まれ、愛された男だ。水月はこんなところで終わらない。水月は、こんなところに埋もれない。

 「もう一度だ」といった頃には、すでに世界は変わっていた。俺はそうとは知らずに信じた。

 おまえはその他大勢なんかじゃない。おまえはこんなところで朽ちていく定めに生まれてはいない。一握り? ひとつまみ? 充分じゃないか。掴みあげる手があるなら、つまみあげる指があるなら、おまえはその中に、充分入れる。

 おまえは、輝ける。