はったりに結果をくっつけるお米粒を探しているだけでよかった。先輩のはったりをはったりで終わらせないように努力(、、)しているだけでよかった。

 止まることを知らない無慈悲な時間は、いたずら好きでときに残酷にもなる未来と仲がいい。

 俺は無慈悲な時間に連れられて、残酷な未来に遭遇した。彼女との出逢いはあまりに衝撃で、重苦しい鎧が突き破られた。普通なら大人しく恋だと一目惚れだと認めるところで、俺は「気に入らない」という呪文を繰り返した。ひねくれた自尊心はすっかりかたまっていた。

 彼女は、一日の場面のいくつにも現れた。学校だけじゃない、家にいるときも。それを素直に愛おしめればよかったものの、できなかった。魔女だのばか女だのと悪態をついた。

 水月の絵はその頃も美しかった。この絵を自分しか見ることがないのだと思うと、優越感と一緒に罪悪感を抱いた。

これほどのものをここに置いていてはいけない、もっと多くの人の目に触れさせなければいけないという、ある種の義務感のようなものさえ感じた。あんまりにもったいなく思えて悲しいほどだった。

 コンテストにださないのかといったとき、水月は、そんなものはただの娯楽みたいなものだといった。ちょっとしたゲームだと。皆でなにかを持ち寄って、誰のものがいいか第三者が吟味して、この人のものが一等優れているといって一喜一憂するだけの遊びだと。

 自分はそんなものには参加したくないと。

 それに焼けるような苛立ちを憶えたのは、魔女(、、)のことでいっぱいの頭でそれ自体を否定しようと熱中した部活動のことをいわれたように感じたからでは、ないのかもしれない。

 俺は水月に、自分は一喜一憂(、、、、)するぞと宣言した。けれども本心は、そういうことではなかったのだと思う。

 あれほどの激情を感じたのは、その少し——といっても数年——前に、彼の背が広げた翼を見たからだ。籠に閉じこめられた小鳥が、あそこで踊ってみたいと、無限に広がるような蒼穹に憧れたような表情を見たからだ。

 どうして飛んでいかない。どうしてできるだけのことをやってみない。

 どうして喜ぶ側のおまえが、それを拒絶する。一次を突破し、二次を突破し、最終をも突破する。そして皆に讃えられ、ついに憧れた蒼穹を舞い踊る。その喜びを、どうして拒む。

 おまえには、あそこで喜ぶ理由があるのに。