水月はたくさんの絵を描いた。けれども彼が美術部を選ぶことはなかった。グラウンドで「オン・ユア・マーク」と「セット」をして乾いた破裂音を合図に飛びだしたり、基礎を叩きこまれたりしているらしい。

 惜しくてならなかった。せっかく美術部なんて立派な部があるのに、そこで水月が輝くことがない。無欲な兄が悲しくもあった。それほどの持っていながら、なにゆえにそれを磨くことをしないのか。

 けれども同時に、それでもいいのかもしれないとも思った。水月が運動も得意であることはよく知っていた。本人がそれでいいのなら、トラックの上で光るのも悪くない。

 俺は水月ではない。水月の人生を掻き乱すようなことはしてはならない。そんなことをするくらいなら、平凡な能力と平凡な肉体を維持することに努めるべきだ。

平凡な人間の平凡な存在というのは、ある程度手をかけてやらないとすぐに人の目に見えなくなってしまう。

 平凡なりにちょっと褒めてもらえたらと、必死に白い球を追った。初めは掃除だの道具の手入れだの、なにより球拾いばかりさせられた。

 オン・ユア・マーク、セット。

 俺が自分の位置につけるのはいつなのだろう。臆病者を(ふる)い落とす銃声が響くのはいつなのだろう。この音に怯むようなやつは引っこんでいろという乾いた音が弾けるのは、いつなのだろう。

 聞いてみたい。

 落とされてたまるものか、引っこんでなどいられるかと闘争心を、不快に心地よくくすぐるその音を聞いてみたい。

 同級生の筆記用具がなくなって、それまで大して接点のなかった人に絡まれたくらいできょうだいの名前を胸の奥で抱え、泣くな泣くなと自分にいい聞かせるような臆病者にも、くすぐられる闘争心はある。あの人のようになりたいと見あげる人もいる。褒められたいと願うこともある。

 水月は強い。あの一件からずっと、あんなふうになりたいと思っていた。運動ができて、勉強も——少なくとも教科書を読み直してしょっちゅう勘違いに気づいているくらいには——できて、優しくて強い人。

 その理想の姿を思いだすたび、どうしてこうなったんだと苦笑した。とにかく毅然(きぜん)とした態度を保とうと意識した結果、ただの愛想のないやつになった。なよなよしないでしっかりしようと意識した結果、ただの口の悪いやつになった。

間違えたなと気づいてみても、今さら重いだけの(よろい)を脱ぐこともできなかった。着てみたはいいけれども、脱ぎ方がわからなかった。しかもそれは身動きがとれない重たいだけといっても、とりあえず弱い自分を隠してくれるものであって、脱ぐのが怖くもあった。

 能力的にも精神的にも脱げないだけだった鎧は、やがて自分のものになってしまった。