母が料理を盛った皿を受けとって食卓へ並べながら、俺は「水月さ」と声をかけた。教室にいる何人かの男子の声変わりが始まった、小学校も卒業に近い頃だった。

彼らには声のだしづらさや喉の違和感なんかがあったりするらしいけれども、俺と水月はまだなんの変化もない、それぞれ大勢の中の一人だった。

 居間のテレビ夕方のニュースを流していて、マフラーや厚手のコートを身につけて白い息を吐き、学問の神さまに手を合わせる家族が映しだされていた。

 「あちっ」と声をこぼし、ティッシュで指を拭ってから、水月は「なに?」と答えた。

 「いや、そろそろ卒業だなと思って。中学いったら、部活とかどうすんの?」

 水月は一瞬ぽかんとしてから、テレビの画面をちらりと見て納得したように「ああ」と声を発した。

 「どうするかねえ」と悩ましげにいうので、「やっぱり(、、、、)美術部?」といってみる。

 「きっと周りの一年はびびり散らかすよ。とんでもないのが入ってきたって。二年三年も、先輩づらを保つのに必死になるんじゃない? こいつ、すでに俺たちよりずっと上にいる!つって」

 「葉月」とお咎めの香りをまとった母の声が飛んできた。

 「特別な人などありません。人に上も下もあるものですか。驕ってはいけませんよ」

 俺は台所の母の背中に舌をだした。水月はあくまで中立か我関せずを貫くように、肩をすくめた。

 「尊敬しなくてもいいの、でも蔑んではなりません」

 「他人を?」

 「そうよ」

 「別に蔑んでるんじゃない、尊敬もしてないけど。当然だ、水月は本物なんだから」

 「本物も偽物もありません」

 俺はたまらず笑った。「母さんは水月の絵を見たことがないからそんなことがいえるんだ」

 「いいえ、水月は絵がじょうずだわ」

 「そうだ、水月は絵がうまい。特別(、、)にうまいんだ」

 「特別じゃないわ」

 「水月よりうまいやつがあるか? いや、ないね。水月を越す者はない。水月は本物だ。誰も否定できない、越せない。水月の絵こそ“絵”だ」

 「では周りは偽物だと?」

 「それは知らない。本物のほかに偽物しかないならそうなんだろう。周りがどうかなんてどうでもいい、水月がすごいのは紛れもない事実だ。すごいものをすごいといっちゃ、それは驕ってる?」

 「……あなたは水月じゃない」

 「ああ、俺は水月ほど立派じゃない。でも水月の魅力がわからないほど劣ってもいない。ファンだよ」

 「過激なファンは周りから疎まれるものよ」

 「いってればいい」と俺は吐き捨てた。母には自分の息子の才能がわからないらしい。そんな相手と話をつづけていても重要なものは生まれないし見つからない。互いに興奮すれば話はあらぬ方へ進み、ろくな着地ができない。