水月の絵は素晴らしい。その色は優しいあたたかさを持ちながら、鮮やかに華やかに、日常を描きとる。

 誰に否定されて寂しくなろうとも、水月の絵が素晴らしいと信じつづける自信があった。

 俺には味方もいた。学校で絵を描くとき、優れた作品にちょっとした賞が与えられたり、校舎の中で人の目に立つところに展示されることがあったけれども、水月の絵はいつもその中に入っていた。水月の絵は大人が見てもすごいんだと嬉しくなった。

 学期末に行われていたんだったか、全校集会で呼びだされ賞を受けとる人への拍手がやみ、「花車水月」と先生の声があがったとき、背の順でひとつ前の男子が振り返った。

 「水月くんっておまえのきょうだい?」

 「双子」とうなずくと、「どっち?」と返ってきた。「どっち?」と聞き返すと、「どっちがお兄ちゃんなの?」と返ってきた。

 「水月」と答えると、相手は「ふうん」と、それほど納得したふうでもなくうなずいた。

 「全然似てないのな。双子なんでしょ?」別に嫌ないい方ではなかった。

 二卵性双生児という言葉を知らなかった俺は、「似てない双子もいるんだって」とどこか他人事な調子で答えた。

 「確かに全然似てない」と相手は嫌味らしくもなく笑った。

 「葉月はなんか呼ばれるの?」

 「教室で、計算力と漢字力の賞もらうくらい」

 「なんだよ、俺と同じじゃん」と相手は苦笑した。

 「俺は水月とは違うよ」俺に、目立って優れたところはない。

 「水月くんのこと好きなんだ?」という相手に当時は素直に「好きだよ」と答えたけれども、ほのかに劣等感の香るこの尊敬と親愛の情は誰にも理解できないのではないかと思う。それを憂うわけでも誇るわけでもないけれど。

 家に帰ってから、全校集会で水月の受けとった賞を見せてもらった。書いてある名前は紛れもなく『花車 水月』で、俺の名前ではない。それでも、自分の名前が書いてあるように、いや、もしかしたらそれ以上に嬉しく、誇らしかった。

やっぱり水月はすごいのだと再確認するような、俺は間違っていないんだと安心するような、なんともいえない興奮があった。

 「やっぱり水月は絵がうまいんだよ」

 「たまたまだよ、先生の気まぐれだ」

 「そんなことあるもんか」と思わずむきになって返すと、水月はのんびりと笑った。「俺は天才なのかもしれないね」という声はあくまでも俺をなだめる調子だった。