わたしはおいちゃんの言葉を聞きながら、自分が使うところを想像した。色をどうするとかこんなふうな仕上がりにできるとか聞くたびに、わたしの好きなものができあがっていくカンヴァスが目に浮かんだ。

 「猿にでもわかるようにやったつもりだけども、お嬢ちゃんには難しかったかな?」

 「ばかいうんじゃないよ」とわたしは背伸びした口調で笑った。

 「わたしって、こう見えてもばかじゃないの。意外と賢そうな顔してるんだよ、老眼じゃわからないかな?」

 「ばかいうんじゃねえよ」と、おいちゃんは、ネイティブスピーカーらしく笑った。

 「老眼ってのはな、近くは見えないけども遠くはよーく見えるんだ」と、おいちゃんは手のひらを近づけて顔をしかめ、遠ざけながらしかめ面のしわを伸ばした。

 そして、「そりゃあもう、お嬢ちゃんのちっこい目より、うんとだ」と、目を見開くようにして顎を引き、眉を持ちあげて、薄い肌に骨の浮いた指先をわたしに向けた。


 大きな公園の一角に、ひっそりとイーゼルを立て、カンヴァスをのせる。折りたたみの小さな椅子を開いて座り、足元に乱雑に置いた道具を用意していく。

ひっそりといっても、おいちゃんと違って隠れているわけじゃない。禁断の愛には今でも惹かれない。

 わたしはおいちゃんの老眼では見えない賢さで、小部屋での教えを一度で飲みこんだ。

 その知識は長い時間をかけて、形を変えないままじっくり、時に形を変えてじっくりとわたしの中に染みついていく。そして今もまだ、その途中。

 おいちゃんは別に、わたしにすごい画家になってもらおうとか、この娘はそうなるはずだとか、思ったわけではないと思う。

ただ知らない中学生——正確には小学生に見える中学生——が自分のお店にやってきて、なにも知らない状態で画材を買おうとしていたから、ちょっとそれぞれの使い方を教えてやろうと思っただけに違いない。

それで十分だし、それが自然だし、そのことにはわたしもこだわっていない。

 ただ、薫風堂のおいちゃんの話が、薫風堂のおいちゃんののせていく色が、こんなにも鮮明に刻まれて、こんなにも時間をかけて自分のものになっていくとは思わなかった。

  確かに綺麗なものが好きだ。かわいいものが大好きだ。けれど、それを自分で作ろうと、世界にあふれたそれを自分で切りとろうとする思いが、衝動が、こんなにも強いものだとは思っていなかった。

 目的が湧いてくるたびにおいちゃんとの小部屋を思い出す。あのとき、おいちゃんはなんていっていたか、どのようにしていたか。

 記憶することはそれほど苦手ではないから、答えとはそれほど時間をかけずに出逢える。初めはその通りに色をのせた。それで満足だった。

 けれど、次第に物足りなくなった。もっとこんなふうに、と理想が高く、色濃く頭に浮かぶようになった。それには、形を変えたおいちゃんからの知識でも追いつけなくなった。試しに色を置いてみても、やはり思い描いたものとは違う。

 違う、こうじゃない。もっと鮮やかに、もっと濃く、もっと暗く。もっと、もっと——。

 胸の奥が掻き乱されるような感覚だった。そわそわ、ざわざわするような、衝動のような、なんともいえない激情。

 叫びだしたい。どこかに思いきりぶつけたい。胸の中にしか、頭の中にしかない色が、どうしようもなく見たい。でも見られない。

 見たい、見られない。
 見たい、見られない。

 ああ、もう——。

 なんて、楽しい。