翌日、わたしは画材とともに家をでた。

 あのあとはしばらく話して、「きっと告白するよ」といったてらちゃんの背中を押して電話を切った。

 何度か描きにきている公園は、日曜日ということもあってか混雑していた。「すみません、お邪魔しました……」と心の中で呟いて退散する。小さな子供や赤ちゃん、さらには動物までがいて、そのかわいさに胸の奥がぎゅんぎゅんした。本当、子供たちも動物も、なんてかわいいんだろう。というか、なんであんなにかわいいんだろう。

 わたしは公園からしばらく歩き、小さな赤い橋に差しかかった。“恩愛橋(おんあいきょう)”という、素敵な物語を想像してしまう名前で、その昔にはわたしの想像するような素敵な物語があったのかもしれないけれど、それは今日(こんにち)まで語り継がれることはなかった。

 わたしは欄干(らんかん)から下を覗きこんだ。橋の下には、この橋が小さい通り、それほど広くない川が流れている。昔はこの川も流れていなかったのかもしれない。

いや、本当は昔からこの川は流れていて、川のこちらとあちらに離れてしまったきょうだいや夫婦、親子がいたのかもしれない。いろいろな困難を越えたのちにその二人は再会する。それにちなんで、恩愛橋。

 いや、やっぱり昔はこの川はなかったのかもしれない。その時代に、二人がこの川のところで絆を確認する。けれどものちにここへ川を通すことになってしまい、その二人の絆が絶たれてしまうことのないようにと、架けた橋に“恩愛”と名づけた。

 事実がなんであれ、図書館にでもいけばこの橋や川についての資料もあるのだと思う。けれども、事実というのはだいたい、というか当然に、わたし(誰か)一人の好みに合わせて生まれるものではない。

資料を見てみても、わたしが想像するのとはまるで違う物語があるか、そもそも物語なんてないで、この橋にこの名前がついたかもしれない。

 そんな赤い小さな恩愛橋を渡りきると、歩行者や自転車はちょっと右に曲がれるようになる。その先は急に道が細くなり、進んでいくとそのまま土手になる。車はもうちょっと先を右折することになる。