「……別に、なにも思ってないよ」

 鳥のさえずる穏やかな静寂で、葉月から聞いた、彼の敬愛する田崎さんの口癖を思いだした。

 「その嘘で、誰が笑う?」

 葉月は黙って目を逸らした。

 「笛、楽しい?」

 葉月はなにも答えないで部屋の中へ入り、花器をひとつ手にとって、廊下へ出ていった。

 戻ってきたかと思えば、常に石の上に置いてあるサンダルをつっかけてこちらにでてきた。そのまま植木鉢の並ぶ方へ向かっていく。

 俺はそっと、しゃがんで作業する弟の後ろについた。

 「ごめん、別に当てつけとかそういうつもりじゃなくて……」

 「わかってる」という声には愛想のかけらもない。

 見当たらない愛想を探すためではなく、「本当に——」と言葉をつづけると「わからないわけないじゃん」と語調が激しくなった。

 不覚の怯みに震えた体の芯が落ち着いたとき、弟は目の前に立っていた。相手の目には、重たげな透明の膜が張っている。

 「水月はそういうやつじゃない。わかってる。おまえのせいじゃない、大丈夫大丈夫っていってくれるやつだよ、優しいんだよ、うんっざりするほど残酷なんだよ」

 弟のダムが決壊した音がした。激流の言葉がすべてを薙ぎ倒してあふれてくる。

 「なんで俺を責めない! なんでただ一言『おまえのせいだ』といわない! なんでただ一言『悪かった』といわせてくれない!

腹の中じゃわかってんだろ、俺が余計なことをいわなけりゃ、おまえは今も普通の暮らしができてたんだよ!

怒れよ、(なじ)れよ! 腹の中で燻ってんだろ、全部吐けよ! 『手前のせいだ』と、『許しはしない』といえよ!」

 弟の嘆きはこちらへ届くころには激しい熱に溶け、その熱は俺の視界を、声を揺らした。

 「……おまえのせいじゃないよ。……本当に、おまえのせいじゃないんだ」

 「全部……俺のせいだろう……!」

 「おまえのせいじゃないよ、葉月」

 葉月が震えながらくずおれた。

 「ごめん、……ごめん……水月……」

 俺は足元に膝をつき、弟の体を腕の中に収めた。

 ごめんね、頼りない兄ちゃんで。自分の気持ちもろくに伝えられない兄ちゃんで、ごめんね。

 ありもしない罪を謝らせるような兄で、ごめんね。

 こんなにも大切な弟の、普段なにを思っているのかにさえ考えの及ばない自分の愚かさが呪わしい。

 腹の底からの『大丈夫』も『おまえのせいじゃない』も、力を持たないのなら——せめて。

 「……明日、散歩に付き合ってくれないか」

 「ああ」と小さな声がした。「どこまでも」と。

 苦痛に濡れたかすかな声が、どうしてか俺に救いの手を差し伸べた。

 その手を引くことも、その手に引かれることもなく、ただ手のひらを重ねたい。