週末、俺は下駄をつっかけて庭にでた。裏に回って、庭の手入れに使う道具を納めた古い木製の物置の扉に手をかける。

 縦は俺の身長よりも高く百八十センチメートルほどあり、横は百センチメートルほど、奥行きは横と同じくらいの大きさだ。

もうちょっと小綺麗に保たれ、周りにブリキのじょうろや、俺ではなく花で飾った——ワゴンとでも呼びたくなるような——車という花車(、、)でもあれば、ヨーロッパの田舎の方に建つ爽やかな屋敷、その庭の一角といった雰囲気もだせそうなのだけれども、純和風の家屋の裏庭に設置されてしまえば、ただの古びた木製の小屋でしかない。

俺からすればかなり親しみやすい顔をしてくれていてありがたいのだけれど、もしかするとこれはもったいないことなのかもしれない。

 俺は物置の中から高所用の枝切り鋏を取りだした。

 表に戻り、花水木の枝へ鋏を向ける。慣れないなりになんとか適当な枝を掴み、刃先と連動している持ち手を握り、切りとった。ちょっと遠いけれどそのままおろした先に枝を置き、それを拾う。さくらやももにも似た淡い紅色の花のついた枝。

 体勢を直したとき、「水月」と葉月の声がした。見れば、神楽笛を片手に縁側に立っていた。

 俺が「おはよう」と答えて葉月の顔に浮かぶ笑みは物憂げで、切りとった枝に咲いたままのかわいらしい花が意味を持つ。

 「庭いじり?」

 「ちょっとね」

 俺は普段よりずいぶん高いところにある弟の顔を見あげ、今しがた切りとった枝を差しだした。日常は花言葉なんて浪曼(ろうまん)に満ちたものとは縁遠いものだけれど、庭に毎年咲くものに添えられた言葉くらいはと、いつか調べたことがある。

 「これ、あげる」

 これは返礼(、、)ではない。俺の気持ち(、、、)だ。

 「誕生日はまだ先だけど」

 これは返礼(、、)じゃない。受けとってほしい、俺の気持ちだ(、、、、、、、、、、、、、、、)

 「じゃあクリスマスプレゼントってことで」と俺は笑いかけた。

 「もっと遠いな」と苦々しく笑って、葉月は俺の手から枝を、その枝に咲いた花に添えられた言葉を知りながら受けとった。もっとも、葉月の手に渡ったとき、その花がどんな言葉を持っていたかはわからない。

 弟は俺よりも植物に詳しい。やがてこの縁側の先の一室は彼のものになる。葉月が植物を愛で、その愛らしさ美しさを人と味わう場所になる。

 父がここでそうするとき、着物は和服だけれど、葉月がそうするときには、もしかしたら着物は洋服を着ているかもしれない。父は華道の家元なんかではないのだ。

趣味でほかの人と植物の魅力を味わっているだけなのだという。いってしまえば世間話のようなものだと。花って綺麗だよね、植物って見てると落ち着くよね、と。

 葉月は枝に(わら)う花を見つめ、表情に静かな苦痛を滲ませた。

 ——これは、返礼(、、)じゃない。

 「葉月」と愛おしい名前を呼ぶ。弟の表情から、静かな苦痛が少しだけ、色を薄くした。

 「おまえのせいじゃないよ」

 俺の気持ち(、、、、、)だ——。