目が醒めたとき、肘掛け窓の外はよく晴れていた。誰かが空を青く塗っていて、さんさんと燃える太陽のあたたかさを包んだ穏やかな風は、草花を無邪気に愛らしく、凛々しく美しく揺らす。

 葉月が通学用のスニーカーを履くのを眺める。

 弟はこちらを向くと明るく笑って見せた。

 「いざ、出陣」

 「健闘を祈る」

 「おう」とうなずいて背を向ける葉月に少しの寂しさを感じる。毎朝、この瞬間に自分が普通でないことを確認させられる。

 普通——。

 あちこちで求められながら、一度外れてしまえばそう簡単には戻れないところ。そこより上にいってしまえば半歩たりともあとじさることは許されない。一度そこから落ちた者は、簡単にはそこへ戻らせてもらえない。

 俺は、『普通』という人が外れてはならない狭い道を踏み外した。

 その細道の両脇は崖に近い急な坂になっていて、草木が生えていることもなく、踏み外してしまえばすがるものがないまま転がり落ちるしかない。

道の上に立っていたときには見おろしても見えない、遠い遠い、深い奈落の底へ。

 ここにも、陽の光は届く。奈落の底へ転落した傷を癒やすことなく、ぬくもりがほしければここまでこいと嘲笑うように、冷酷に残酷に、ここまで届く。

 ここから見あげる道の上は、あまりに近く感じる。この坂をちょっとのぼれば辿り着く——遠い遠い道の上が、そんな場所に見える。

 けれどのぼろうとしたとき、その坂の長さを、勾配(こうばい)の厳しさを思い知る。

 切り立った崖をのぼり始めた途端に光は消え、転げ落ちる間にはすがるものなどなにも生えていなかったはずなのに、辺りにはたちばな(、、、、)なつめ(、、、)のような、棘のある植物が生い茂り、遠い道を見あげる頬を、上へ伸ばす手を切り裂き、つんとした痛みを伴いながら真紅を滲ませる。

見えないあちこちから棘が突きだしていて、腕を脚を動かすたびに、痛みを伴って熱を帯びる。そこかしこがじんじんと脈を打つようで、ずきずきと真紅の体温が伝い、力が入らなくなる。

 なにも見えない孤独の中で、愛すも憎むも、対象は痛みだけになる。

 痛みだけじゃなく孤独すらも愛せない俺は、葉月を求め、愛おしい弟を相手に束縛の罪を犯す。

 それはこの些細な不運を「お前のせいだ」ということに等しく、俺が求め縛りつけるたび、葉月は——愛おしい弟は——激しい後悔を、繋いだ手に——呪縛とでも呼びたいその繋がりの隙間に——熱く苦しく滲ませる。

 なんでもないように笑いながら、素直な手のひらに、激しい後悔を滲ませる。それは俺たちの手の間を伝うことなく、ただ塊として残りつづけ、やがて「ぼくだって苦しいんだ」とでもいうように、それ自体が自分を守るように、棘をまとう。

 まるで、俺と葉月がその痛みに耐えつづければ、やがてその後悔自体の苦しみも癒えて、手の間の攻撃的な塊が、さらりさらりと砂のように水のように、流れ落ちていくかのように。