俺はなんとか、ひとつ深い呼吸をした。
あの日と同じ部屋から聞こえる、物憂げな笛の音。甘やかな花の香りと絡み合い、笛の音は悲しげに悔しげに戯れる。
あの日もちょうど、庭の花水木が優しい色の花弁を開いていた。
六年前の誓いが朧ろに溶けていく。消えることができずに俺の脆い精神を抱いたまま残った使命感の腕は、そのままの形で錆びつき、動かなくなった。歯車は噛み合ったままで、動かなくなった使命感は自責に似た色へ変わっていく。
内側から壊れてしまえば、もう少し楽なのに。
葉月、葉月——。
大丈夫だから、そんな音を鳴らすな。
俺が一人で外を歩けなくなってから、葉月はしょっちゅうこんな音を鳴らすようになった。悲しそうな苦しそうな、叫ぶような音。
誓いの溶けた今、俺が葉月に「大丈夫だから」と直接いったとしても、その言葉には力がない。その失われた力を取り戻すには、本当に『大丈夫』になるしかない。
繊細な弟を傷つけないでも、重ねた手のひらに葉月の後悔を感じとらないでも、外を歩けるようになるしか、手放してしまった言葉の力を取り戻す方法はないのだ。
言葉には、慎重に使わなければならないほどの強い力があると聞いたことがある。うまく使えば相手を縛る見えない縄を切り、へたに使えば縛りつけられた相手を斬ると。
違う。
言葉には力なんてない。使う人に力があるから、相手を生かすほど、殺すほどの力を持つのだ。言葉がどんなに切れる刃物でも、どんなに危険な劇薬でも、それを手に持てないほど非力な者には、なんら関係がない。
自分に力がなければ、大切な人の縄を切ることも、大切な人の傷を癒やすこともできない。その刃物は劇薬は、自分の内側にあるばかりで、それに伸ばした指先は決まって傷を負う。うまく持てないからだ。
言葉が劇薬なら、それはきっと蒸発しやすい液体なのだろう。空気に溶けたそれが内側を満たす。
言葉が刃物なら、それはきっと竹のように少しの光でぐんぐん伸びるものなのだろう。置かれた場所が狭くなったそれは、なおも外の光を浴びて成長し、内側を傷つける。
誰かとうまく繋がれないと苦しいのは、きっとそのせいだ。
あの日と同じ部屋から聞こえる、物憂げな笛の音。甘やかな花の香りと絡み合い、笛の音は悲しげに悔しげに戯れる。
あの日もちょうど、庭の花水木が優しい色の花弁を開いていた。
六年前の誓いが朧ろに溶けていく。消えることができずに俺の脆い精神を抱いたまま残った使命感の腕は、そのままの形で錆びつき、動かなくなった。歯車は噛み合ったままで、動かなくなった使命感は自責に似た色へ変わっていく。
内側から壊れてしまえば、もう少し楽なのに。
葉月、葉月——。
大丈夫だから、そんな音を鳴らすな。
俺が一人で外を歩けなくなってから、葉月はしょっちゅうこんな音を鳴らすようになった。悲しそうな苦しそうな、叫ぶような音。
誓いの溶けた今、俺が葉月に「大丈夫だから」と直接いったとしても、その言葉には力がない。その失われた力を取り戻すには、本当に『大丈夫』になるしかない。
繊細な弟を傷つけないでも、重ねた手のひらに葉月の後悔を感じとらないでも、外を歩けるようになるしか、手放してしまった言葉の力を取り戻す方法はないのだ。
言葉には、慎重に使わなければならないほどの強い力があると聞いたことがある。うまく使えば相手を縛る見えない縄を切り、へたに使えば縛りつけられた相手を斬ると。
違う。
言葉には力なんてない。使う人に力があるから、相手を生かすほど、殺すほどの力を持つのだ。言葉がどんなに切れる刃物でも、どんなに危険な劇薬でも、それを手に持てないほど非力な者には、なんら関係がない。
自分に力がなければ、大切な人の縄を切ることも、大切な人の傷を癒やすこともできない。その刃物は劇薬は、自分の内側にあるばかりで、それに伸ばした指先は決まって傷を負う。うまく持てないからだ。
言葉が劇薬なら、それはきっと蒸発しやすい液体なのだろう。空気に溶けたそれが内側を満たす。
言葉が刃物なら、それはきっと竹のように少しの光でぐんぐん伸びるものなのだろう。置かれた場所が狭くなったそれは、なおも外の光を浴びて成長し、内側を傷つける。
誰かとうまく繋がれないと苦しいのは、きっとそのせいだ。