次の日の昼休み、俺は葉月のいる隣の教室にいった。葉月に呼ばれた気がした、というのが本当のところだけれど、実際にはお前が弟を気にしすぎていたからそんなふうに感じたんだといわれたとしたら、特に否定はしない。
廊下側の一番後ろの席で、大切な弟は同級生に囲まれていた。
俺は海外の映画で見た男の人のように、教室の全開の扉を三度叩いた。こん、こん、こん、と、ゆっくり。映画でそういう場面を見たとき、なんとなく感じが悪いなと思ったから、わざとそれを忠実に再現した。洋装ということもあって、より深くなりきれた。
みながこちらを見たところで、俺はその一人の葉月に向けて笑った。
「やあ葉月。人気者だね」
途端に湿っぽくなる弟の顔に、強気で、と念じる。
「ほら葉月ちゃん、きょうだいが助けにきたよ」と一人の男子が葉月の首に腕を絡めた。
「かわいいでしょ」俺の弟、とはいわなかった。この人たちはきっと、俺と葉月のどちらが兄でどちらが弟かを知らない。それを教えてあげる必要はないと思った。
俺が葉月の兄である自覚があって、葉月がときに、俺を頼れるきょうだいと思ってくれれば、それで充分だった。
「本当にかわいいんだよ。でも、葉月は男なんだよね。葉月ちゃんじゃない」
「ああ、ごめん」と彼は嫌味たらしくいった。
「ねえ水月くん、知ってる?」と彼はつづける。「お前のきょうだい、他人のもんとっただぜ?」
「知らないな」と俺は答えた。
「じゃあ今知っておいてよ。お前のきょうだいは田村のシャーペンを盗んだ」
2BかBの鉛筆しか認められてないんだからそんなもん持ってきておくなよ、とは飲みこんだ。
「俺はそんな事実は知らない」
彼は葉月を囲むみなの方を振り返って、自分のこめかみを二度つついた。「頭が悪いんだ」と。
「信じることを選んでるんだよ、みんなと同じ。みんなが葉月がとったって信じるみたいに、俺は葉月がとってないって信じる」
ばかといわれても頭が悪いといわれても、そうむきになって否定することはない。
ばかでも頭が悪くても生活に不自由がないのだから、誰かにそういわれて、なにかいってみろといわれたとしても、そう見えますかと返すことくらいしかできない。
けれども、この人たちにそういわれるのなら、道連れにしてやりたいと思った。……ちょっとだけ。ほんのちょっとだけ。
「信じるとかじゃないんだよ、こいつがとったんだ」
「じゃあそれでいいじゃない」とは普通に返したつもりだったけれど、もしかしたらひどくうんざりした顔をしていたかもしれない。
「なんでそうこだわる。それじゃあまるで、本当に葉月がとったのか疑ってるみたいだよ。信じる信じないじゃない、事実なんでしょう?」
「返させたいんだ」と彼は声を張った。「返さないと、田村に」
「じゃあそうしなよ。ちょっとでも早い方がいいでしょ」
「でもこいつがださないから」
「無理にでもださせなよ。筆箱か道具箱か、それともポケット?」いいながらちょっと笑ってしまった。「どこかしらに入ってるシャーペンをさ」あんまりにくだらない。
「やってるけどださないんだ」
「葉月がださないならみんながだしてあげればいい」と俺は口角をあげた。そして、「それともみんなは優しいから、強引なことはできないかな?」と肩をあげた。映画のまねだ。
「じゃあ俺がださせよう」と、俺は葉月のそばに寄った。
「お前はとってないって信じるんだろ? おかしいじゃん」と笑う男子に、「信じてるからやるんだけど」と答える。
「でてきたらどうするんだよ? 怖くないわけ?」
「それならこいつはきょうだいじゃない。田村からシャーペンを、俺からきょうだいを奪った悪党。それだけだよ」
俺は椅子に座ったままの葉月に上から「立って」と命じた。静かに立ちあがった葉月のズボンのポケットに両手を突っこむ。なにもないのを確認して服のあちこちを探りながら、葉月の震える体でみんなから口元を隠し、「大丈夫だから」とささやく。
俺は葉月のそばを離れると、机の中から道具箱を引っ張りだし、机の上に置いた。教科書やノートの入っている方も引きだしたものの、思っていたより重たくて、机の上に置くときに大きな音が立った。葉月のやつ、置き勉してやがる。
道具箱の中をあらかた確認したあと、俺は両手を腰に当てた。
「俺は目が悪いのかもしれない」といってみたけれど、さらに詳しく調べようとする人はいなかった。
「あとはランドセルくらいだけど……」
どうしようか、というより先に、「あーっ」と声があがった。女子の声だった。
「かっこいい鉛筆発見ー」という声のした方を見てみれば、女子が手元の細長いものを見ていた。
「名前入りだよ。鉛筆なんて使っていくうちになくなっちゃうのに、豪華だね」
その女子は手元から顔をあげると、「すごいね、田村くん」と一人の男子を見た。
窓際の席から立ちあがった田村は、「ごめん、どこに落ちてた?」とその女子の元へ向かった。
「先生の机のそば」と答えて、女子は田村に拾ったものを渡した。
「おしゃれな鉛筆だね」と女子は繰り返した。
「あんまり騒がないで」といった田村の言葉を、俺はこちらに向けられたものだと信じた。
廊下側の一番後ろの席で、大切な弟は同級生に囲まれていた。
俺は海外の映画で見た男の人のように、教室の全開の扉を三度叩いた。こん、こん、こん、と、ゆっくり。映画でそういう場面を見たとき、なんとなく感じが悪いなと思ったから、わざとそれを忠実に再現した。洋装ということもあって、より深くなりきれた。
みながこちらを見たところで、俺はその一人の葉月に向けて笑った。
「やあ葉月。人気者だね」
途端に湿っぽくなる弟の顔に、強気で、と念じる。
「ほら葉月ちゃん、きょうだいが助けにきたよ」と一人の男子が葉月の首に腕を絡めた。
「かわいいでしょ」俺の弟、とはいわなかった。この人たちはきっと、俺と葉月のどちらが兄でどちらが弟かを知らない。それを教えてあげる必要はないと思った。
俺が葉月の兄である自覚があって、葉月がときに、俺を頼れるきょうだいと思ってくれれば、それで充分だった。
「本当にかわいいんだよ。でも、葉月は男なんだよね。葉月ちゃんじゃない」
「ああ、ごめん」と彼は嫌味たらしくいった。
「ねえ水月くん、知ってる?」と彼はつづける。「お前のきょうだい、他人のもんとっただぜ?」
「知らないな」と俺は答えた。
「じゃあ今知っておいてよ。お前のきょうだいは田村のシャーペンを盗んだ」
2BかBの鉛筆しか認められてないんだからそんなもん持ってきておくなよ、とは飲みこんだ。
「俺はそんな事実は知らない」
彼は葉月を囲むみなの方を振り返って、自分のこめかみを二度つついた。「頭が悪いんだ」と。
「信じることを選んでるんだよ、みんなと同じ。みんなが葉月がとったって信じるみたいに、俺は葉月がとってないって信じる」
ばかといわれても頭が悪いといわれても、そうむきになって否定することはない。
ばかでも頭が悪くても生活に不自由がないのだから、誰かにそういわれて、なにかいってみろといわれたとしても、そう見えますかと返すことくらいしかできない。
けれども、この人たちにそういわれるのなら、道連れにしてやりたいと思った。……ちょっとだけ。ほんのちょっとだけ。
「信じるとかじゃないんだよ、こいつがとったんだ」
「じゃあそれでいいじゃない」とは普通に返したつもりだったけれど、もしかしたらひどくうんざりした顔をしていたかもしれない。
「なんでそうこだわる。それじゃあまるで、本当に葉月がとったのか疑ってるみたいだよ。信じる信じないじゃない、事実なんでしょう?」
「返させたいんだ」と彼は声を張った。「返さないと、田村に」
「じゃあそうしなよ。ちょっとでも早い方がいいでしょ」
「でもこいつがださないから」
「無理にでもださせなよ。筆箱か道具箱か、それともポケット?」いいながらちょっと笑ってしまった。「どこかしらに入ってるシャーペンをさ」あんまりにくだらない。
「やってるけどださないんだ」
「葉月がださないならみんながだしてあげればいい」と俺は口角をあげた。そして、「それともみんなは優しいから、強引なことはできないかな?」と肩をあげた。映画のまねだ。
「じゃあ俺がださせよう」と、俺は葉月のそばに寄った。
「お前はとってないって信じるんだろ? おかしいじゃん」と笑う男子に、「信じてるからやるんだけど」と答える。
「でてきたらどうするんだよ? 怖くないわけ?」
「それならこいつはきょうだいじゃない。田村からシャーペンを、俺からきょうだいを奪った悪党。それだけだよ」
俺は椅子に座ったままの葉月に上から「立って」と命じた。静かに立ちあがった葉月のズボンのポケットに両手を突っこむ。なにもないのを確認して服のあちこちを探りながら、葉月の震える体でみんなから口元を隠し、「大丈夫だから」とささやく。
俺は葉月のそばを離れると、机の中から道具箱を引っ張りだし、机の上に置いた。教科書やノートの入っている方も引きだしたものの、思っていたより重たくて、机の上に置くときに大きな音が立った。葉月のやつ、置き勉してやがる。
道具箱の中をあらかた確認したあと、俺は両手を腰に当てた。
「俺は目が悪いのかもしれない」といってみたけれど、さらに詳しく調べようとする人はいなかった。
「あとはランドセルくらいだけど……」
どうしようか、というより先に、「あーっ」と声があがった。女子の声だった。
「かっこいい鉛筆発見ー」という声のした方を見てみれば、女子が手元の細長いものを見ていた。
「名前入りだよ。鉛筆なんて使っていくうちになくなっちゃうのに、豪華だね」
その女子は手元から顔をあげると、「すごいね、田村くん」と一人の男子を見た。
窓際の席から立ちあがった田村は、「ごめん、どこに落ちてた?」とその女子の元へ向かった。
「先生の机のそば」と答えて、女子は田村に拾ったものを渡した。
「おしゃれな鉛筆だね」と女子は繰り返した。
「あんまり騒がないで」といった田村の言葉を、俺はこちらに向けられたものだと信じた。