みずみずしい甘やかな香りと悲しい笛の()が踊っている。梢と葉の戯れにも似たからりとしたその音は、香る花のみずみずしさに湿り、見えない水玉を滴らせる。

 甘く爽やかな香りはたちまち雨に濡れた地面に似て、かろうじて保たれたなにか大切なものの均衡を乱そうと、鋭い爪をこちらに伸ばしてくる。

 着物の上から触ったところでなんにもならないところが荒れた海の唸るようにざわめき、呼吸さえうまくできなくなりそうになる。

 葉月。はづき。

 何度となく呼んだ、愛おしい名前。

 ちょっと前まで、なんでもないように呼んで、そばまで走った。薄紅(うすくれない)の花のつぼみにも似た唇に、神楽笛を当てた葉月の横へ、皷を持って走った。

 葉月は笛をおろして、笑って俺を迎えた。

 葉月の持っている笛にどんな価値があるのかは知らない。自分の持っている皷にもどんな価値があるのか知らない。

 俺も葉月も、家にあったその皷を笛を、ただおもちゃとして手にとった。父も母も、触ってはいけないとは一度もいわなかった。ときには見守るような眼差しで、俺たちの楽譜のない音を聞いてくれた。

 俺は葉月の吹く笛の音が好きだった。葉月もまた、俺の叩く皷の音を気に入った。でたらめな音がまともになっていくと、互いの音にくっついて鳴らすようになった。

 そうするようになってからも、よく、ふー、ふー、と調子の外れた音を鳴らす葉月の横で、とん、とん、と俺も間の抜けた音を鳴らした。

 「うまく鳴らないね」と、在りし日の葉月は困ったように笑った。まだ和服を着ている、遠い昔の幼い葉月だ。

 「水月はうまく鳴らすね」

 「そんなことないよ。もっと大きな、……すごい音をだしたいんだ」

 「お祭りの太鼓じゃないんだから」と葉月は笑った。

 「こんな小さいのじゃ、あんな大きな音は鳴らないよ、きっと」

 「でも、もっと……かっこいい音をだしたい」

 もっと響く、とか、通る、といった言葉が、うまい具合にでてこなかった。

 「葉月の笛は、それも変な音なの?」

 葉月は太ももの上で手にのせている笛を見おろした。

 「なんか、音がすかすかなんだよ」

 「それじゃあだめなの?」

 当時の俺は、葉月の鳴らす静かな乾いた音を、そういう吹き方の、ある種の技術によって鳴らされるものだと思っていた。

 「わかんないけど、かっこいい音じゃない。お父さんは、もっと優しく吹くといいっていうんだけど、じょうずにできないの」

 「うーん……」

 俺は皷のあちこちを、そっと叩いてみた。それで、ある一点でいい音が鳴らせるのに気がついた。そこに狙いを定めて、強く叩いてみた。

 ぽん、と、よく響く、すごい音(、、、、)が鳴った。

 「すごい」と葉月が小さくいった。