花車との出逢いは、中学校の二年生のときだった。

 そのクラスにはこのあたりに引っ越してきたばかりという女の子がいたので、みんなで新しい教室に慣れるためにもと、出席番号順にひとりひとり、簡単に自己紹介することになった。

 一番の井上くんが名前をいったあと「愛すは娯楽、憎むは勉学」と声を張りあげて、教室にささやかな笑いを誘ったことで、二番の人、三番の人とまねをしていって、結局はみんなが、自分の名前と愛すもの、憎むものを伝えることになった。

 手塚くんのあとに、わたしは腰をあげた。

 「時本(ときもと)はな。愛すは自由、憎むは束縛、過剰な規則です」と自己紹介した。

自由が好きなのは本当だけれど、その上に憎むは〜に過剰な規則とつづけたのは、一年生の頃に髪を縛る位置とかヘアゴムの色なんかで何度か注意されたことがあるからだった。この屈辱を晴らさずに卒業はできないとずっと思ってきた。

 そんなわたしのひとつあとに立ちあがったのがあの男だった。そして、そのぼそぼそとした声は、「ハナムグリ」と一番初めにいった。

 「ハナムグリ? どんな字、書くの?」と自席に座ったまま隣の男子を見あげると、教室中が、井上くんの——もしかしたら本人はうけを狙ったのかもしれない——自己紹介より、ずっと大きな笑いに包まれた。

 隣の席の男子は、それはそれは鋭い目でわたしを見おろした。そして一言、「はなぐるまだ」。

 「花車葉月、愛すは植物、憎むは無礼者」

 「男子で葉月なんだね」とわたしがいうと、彼はあの鋭い目でわたしを見おろし、「憎むは無礼者」ともう一度いった。まるでわたしが無礼者であるかのように。

 次の人の自己紹介の間、わたしは花車に近寄って、「八月生まれなの?」と尋ねた。しかし彼は、そうとも違うともいわず、「俺はお前が気に入らない」といった。

 「くだらない聞き間違いで恥かかせやがって」

 「あれくらいで恥ずかしいようじゃ生きていけないよ」

 「偉そうに」

 「少なくともわたしはあんなのよりずっと恥ずかしい思いをしてきた」

 「どんな」

 「花車くんがよっぽど共感する力が欠如した人じゃない限り、聞いてるだけでおかしくなっちゃうよ」

 「ではやめておこう」

 「それがいいよ」

 といった具合で初めての会話は終わったのだけれど、花車は未だにそれを引きずっているのか、わたしのことが気に入らないらしい。

花車がわたしを愉快にするために生きているわけではないように、わたしだって、花車に気に入られるために生きているわけじゃないから、別に構わないのだけれど。