元気すぎるほどの陽の光に照らされ、布団の上で上体を起こして、携帯電話を確認すれば時間は九時二分だった。

 布団の上から肘掛け窓を覗くと、庭に水月の姿が認められた。しゃがんで、塀の内側の花壇を見ている。今日は白の着物に青っぽい帯を締めている。

 彼はなにを思ったか、立ちあがって体ごとこちらを向いた。目が合った途端、嬉しそうに笑って手を振ってくる。俺もちょっと笑って手を振り返した。

 部屋をでて一階におり、部屋を突っ切って縁側にでる。

 「なにしてんの」と声をかけると、水月は「お花見」と答えた。「観桜(かんおう)じゃないよ」とつづける。

 「()()てるからな」と俺は笑い返す。

 俺は期待しながら息を吸いこんだ。「描くの?」

 「そうしようかなと思って」と水月はいった。

 「花の絵?」

 「そうしようかなと思って」

 水月は「でもなあ」と上を向いた。葉を落としたその樹は、五月頃には桜にも似た優しい紅色の花を咲かせる。

 「花水木を描くにはちょっと出遅れたね」

 「もう梅雨入りする頃だしな」

 「むしろこの間したしね」

 「え、まじで?」

 「嘘」

 「四月のたわけは終わったはずだけど」

 「俺はいつだってたわける」

 「そうかよ」と俺はいい加減に返す。

 庭木を見あげると、晴天に小鳥が飛んでいるのが見えた。どこからともなく集まってきた仲間たちと遠くへ遠くへ飛んでいく。

 「なあ、水月」

 「ん?」

 「見てていいか、描いてるところ」

 「あ、カマキリ」

 水月は無邪気に声をあげるけれども、俺の背中にはぞくりと嫌なものが走る。

 「逃がしてやれ」

 「カマキリのために?」

 「俺のために」

 「こんなにかわいいのに」と水月はなんでもないようにそいつを捕まえる。

 「ほら」と首根っこを掴まれた姿を見せられてもおっかないだけだ。

 「そいつはおまえの前でだけ猫をかぶるんだ。見てみろよ、この威嚇のしよう。ちょっと近づけば指だろうと顔だろうと切り刻むくらいのつもりでいる」

 「そんなばかな」と笑って、水月は手のひらにそいつをのせた。そいつは途端におとなしくなって、かわいいふりをしながらゆっくりと歩いていやがる。

 「飼いたいんだけど」という水月にたまらず「ばか野郎」と大声で返す。

 「虫さんには虫さんの世界があるんだ。人間がほいほいとっ捕まえていいもんか」

 「間違っちゃいないけど、大の虫さん嫌いにいわれてもなあ……」

 「黙れ、いいからさっさと帰してやれ。おまえに捕まったストレスでその個体数が減るやもしれんぞ」

 「生命力は強いみたいだよ。しばらく食べなくても生きられるって」

 「いいから。早く、逃がす。今だ、今すぐ」

 「そんなに嫌わなくたって……」

 水月は「ごめんよ」と、どうしてか俺ではなく手元のカマキリに向けていって、ゴム草履をぺたぺた鳴らしながら塀の外へでていった。

水月には嫌いなものや苦手なものがない。昆虫、爬虫類、鳥、動物、さらには幼虫の類にまで臆さない。

あの男の苦手なものといえば、苦瓜に対して「大人の味だ」といっていたくらいだ。

 「葉月、葉月、さっき草むらにでっかいカエルがいたよ」という小さな子供のような兄の声に「うるせー」と叫ぶ。