「えっと……? 五号が四枚と、三号が三枚?」

 「八枚と六枚って話だっけ。半分づつでよければそれでいいよ」

 「水月はなにをどう描きたいの?」

 「なんでも」

 わたしはため息を飲みこんだ。

 「はっきりいってよ。いっつもわたしに合わせてばっかりじゃん」

 「それで困らないから」といってから、水月は「あ、じゃあ」といった。

 「今度から、どれか一枚……一緒に描こう」

 「え、水彩と油彩で? 一枚を描くの?」

 「うまくやればおもしろくなると思うんだ。ある程度大きい絵のときに、やってみたい」

 「ふうん……水彩と油彩をねえ……」

 確かに、うまくやればおもしろいだろう。というか、うまくできれば(、、、、、、、)

 ただ、せっかくこうもおもしろい案がでたのだ、やるだけやってみるほかない。

 「うん、いいね。それくらいはっきりいってくれた方が気持ちいいよ」

 「頑張る」と水月はうなずいた。

 「今回は……五号で一枚、やってみる?」

 「本当?」という無邪気な声は、目をきらきらさせている。「いいよ、やってみよう」とうなずくと、水月は嬉しそうに笑う。

 高校生活の最後の一年が始まり、花車邸では花水木が花をつけたという。

 薫風堂と有馬画廊のおいちゃんとは、より親しくなった。店主と客というだけではなくなった。

今まではわたしたちがおいちゃんから——定価よりも安く——買うばかりだったけれど、わたしたちも少しづつ、負けてもらっていた分を返しているし、なにより今では、おいちゃんがわたしたちから買うようになった。

わたしたちはおいちゃんに絵を売り、おいちゃんはお客さんに絵を売って利益を得ているという形だ。もっとも、わたしたちが画材を買うのはやはり薫風堂なのだけれど。

 それで今回、三十五センチメートルかける二十七センチメートルの絵を八枚、訳二十七センチメートルかける二十二センチメートルの絵を六枚という依頼が入った。で、こうなるといつも、どの大きさの絵をどちらが何枚描くか、といったことで賑やかになる。

 人というのは怖いもので、——こういうときに限られているけれど——水月の優しさや穏やかさがはっきりしなくてもやもやするようになってきている。

 「風景っていったっけ」と水月。

 わたしは両手で、顔を洗うように擦る。「あんまり得意じゃないんだよなあ……」

 けれども、こういうときに合作というのは強いかもしれない。水彩と油彩と、水月とわたしと。それぞれの強みを生かして一枚を仕あげれば、いいものができるかもしれない。

 「俺ははなの風景好きだよ」

 「世の中の全員が水月みたいな人だったらいいのに」

 水月は「それは大変な世の中だ」と困ったように笑う。

 ふと、わたしの携帯電話がメッセージの受信を知らせた。差出人はてらちゃんらしい。

 見れば、受信したのは一枚の写真と「使うかい?」という一言だった。

 写真は夕焼けの下でひとりの人物を写した、逆光を生かした一枚だった。

 「誰?」と返すと、「昨日のはーちゃん」と返ってきた。

 「……はーちゃん?」

 「どうした?」

 「絵に使うかいって、てらちゃんが写真くれたの」

 携帯電話の画面を見せると、水月は「へええ、おめでたいね」と目を細めた。

 「え?」と聞き返して、はっとした。ずきん、と胸の奥が痛くなるほどの衝撃だった。

 「葉月⁉︎」と返すと、「遅いでやんすよ」と返ってきた。

 「わっちからの誕生日プレゼントでやんす」とつづいた。

 「18歳おめでとう!」

 「葉月とはいつから!?」

 「去年の夏休み」

 ああ、そうか——。

 「ちゃんと告白できたんだ!」

 「大丈夫だった!」

 こちらが返信を打つ前に、新しいメッセージが受信された。

 なにかと思えば、「今卓球センター」の一言とともに、てらちゃんと葉月のツーショットが送りつけられている。写真ではてらちゃんがちょっと見切れている。

 いかにも仲のよさそうな二人に、わたしは内心苦笑しつつ、短く返信した。


「お幸せに…」