花を生けてみたいという寺町の要望で彼女が家にきたのは、二度目だ。

 常に恐る恐るという言葉がくっついている手つきで植物や花器を扱う彼女に「大丈夫」とか「綺麗」とか勝手にでてくる言葉をかけながら、どうしようかと考える。

 あたし頑張ってるんだから、という寺町の声が何度も蘇ってくる。

 頬に触れたときに目が潤んでいたのは、俺の鈍感さを嘆いていたせいかもしれない。

 いよいよ俺もしっかりしなくてはならない。わかってはいる。けれども、そのしっかり(、、、、)がわからない。寺町にしっかりと伝えなくてはならない。

 しかし、どうすれば伝わるものか。ただ好きだといって、この感情は本当にただ好きなだけなのだろうか。かといって愛しているなんて、プロポーズでもあるまい。

 「おっ、結構綺麗にできたんじゃない?」と無邪気な声があがる。彼女が、自分の鈍感さを嘆いて大きな目のいっぱいに涙を浮かべていたと思うと苦しくなる。俺は寺町を好きでいていいのだろうか。寺町は、こんな俺でいいのだろうか。

 稲葉の臆病者めといった声が蘇る。

 あのときとは意味合いが違うけれど、臆病にもなる。自分に、思いを伝える資格があるのか疑っているのだ。

 「ねえ、見て」と声がして、はっとする。

 「ごめん」

 「もう、先生ってばあ……」

 先生、か……。自分がそう呼んだ二人の先生(、、)が思いだされる。そのうちの、男の方が特に。

 やはり、俺は水月とは違う。

 そういえば、水月はどんな調子で告白したのだろうか。いいや、あいつは関係ない。これは俺の話で、ここではほかの人の経験は生きない。

 俺は寺町の差しだした花器に咲いた花を眺めた。寺町らしい、かわいらしくも個性的な世界だ。

 「ねえ、花車くん」

 「うん」

 「あたし、初詣でのときにさ、……代わり、探さないのって訊いたじゃん」

 「ああ……」

 とんでもないことを思いだしてしまった、という気がした。

 「花車くんは失礼だっていった。なんて優しい人なんだろうって、泣きそうになった」

 「……それは……」ほとんどの人がそう思うのではないか。

 「でもさ、やっぱり、代わりでもいいからそばにいたいんだよ」

 え、と気の抜けた声がでそうになって、ようやく理解した。どうしようもなく、胸が苦しい。

 「失礼でもいいから、……ひどくてもいいから、……そばに、いたいの」

 寺町は正座した脚の上で拳を作った。洟を啜る音がした。

 「花車くんにとって今、ときもっちがどんな存在かはわからない。でも、……一緒にいたい」

 「時本とのことは、いい思い出だよ」

 「じゃあ……代わりは要らない……?」

 「要らない」と俺はうなずいた。腰をあげて、寺町の前に座る。この間のように、ちょっと乱暴にすればどうにかなってしまいそうなやわらかい頬へ手をあてる。そこは熱く、そして濡れていた。

 「寺町」と呼ぶと、彼女は首を振った。

 「いいの」

 「時本じゃない」と半ば重ねるようにいった。寺町が、濡れた目で見あげてくる。大きな目は涙をためにためて、大きな一粒をこぼす。

 「時本じゃない、代わりじゃない、……寺町と……いたい」

 寺町は濡れた鼻を鳴らして笑った。新しい一粒が目からあふれる。

 「まだ四月じゃないよ?」

 「四月じゃ困る」

 きっと、こんなにも調子にのれる瞬間は、この先に一度もないだろう。俺は寺町の小さな体を抱き寄せた。その体は、発熱でもしているように熱い。

 「好きだよ、寺町」

 洟を啜っているのか泣いているのか笑っているのかわからない、音なのか声なのかもわからないものが聞こえた。

 「嘘だ……」

 「嘘じゃない。好きなんだ」

 「なんで……? なんで、ときもっちを諦められたの……?」

 「いかにもふさわしい相手とくっついたから」

 寺町はちょっと笑った。「お兄ちゃん大好きだ?」

 「劣等感があるだけだ」

 「めんどくさいこと訊いていい?」

 「ん?」

 「なんで、……あたしでいいの?」

 「かわいいから」

 「どこがよ」と彼女は鼻声で笑う。

 「全部。植物におどおどしたり、大口開けて食ったり」

 「それだけ?」という声はちょっとふざけているようだったので、「はなぐるま(、、、、、)って呼んでくれる」とこちらもふざけた。

 「ああ、確かにそれはあたしがときもっちに勝ってるところだ」と寺町はかわいらしく笑う。

 俺は寺町を腕に収めたまま寝転んだ。「わっ」と声があがる。立てた腿に座らせるようにして下から見つめる。

 上から見つめ返してきながら、「鼻水垂らすよ」なんていうものだから思わず笑った。

 「そういうところだよ」

 寺町はふふ、と笑う。

 「変わった人だね」