扇風機を外へ向けて食事を始めた。いつものように啜ったそうめんに味がしない。つゆの味も梅干しの味もしない。無心で咀嚼しながら、そういえば寺町とこれほど近くで隣り合ったことはなかったなと気づく。ああ、味がわからない。

 「いただきます」という声がかわいらしく左耳の鼓膜をくすぐる。控えめに麺を啜る音がつづく。

 「つゆ……濃かったら調節して」としかいえない。手前でも味がわかっていないのだ。

 「ん、梅干しおいしい」

 「ああ、よかった」梅干しね。

 なにか混乱してつゆにつけずに啜ったのかもしれないと期待して、つゆをつけたのを確認してから啜ってみるけれども、最初に一口となにも変わらない。味覚がいかれたのか。夏風邪だろうか。

 「あの……」という声に「ん?」と応じて、つゆに麺を入れる。見れば、寺町はそば猪口を持ったまま俯いている。

 「濃かった?」

 「あ、いや……花車くんって……」

 「ん?」

 容赦のない一言が飛んでくるのだろうか。

 俺は平心を装ってそうめんを啜る。

 「今、好きな人いるの?」

 噴きだしそうになった。「は……?」

 「いや、その……恋ばなを……したいなって」

 「男女でするの……?」

 「いや、その……ほかにこういう話したい人もいないっていうか……」

 「恋愛相談?」

 寺町は唇を開き、そのまま静止してもったいぶってから、「いや」といった。

 「それは、なんか……露骨になりすぎる……」

 なにが露骨になるのかによる。俺への敵意かなにかであれば、これ以上話すのはやめたい。

 「今だって露骨なのに……」

 「あ、の……いや、やめよう。調子にのるばかがでてくるから」

 「誰?」

 「俺」

 「調子にのってよ」寺町は顔を真っ赤にしてより深く俯いた。「……あたし、……頑張ってるんだから……」

 必死にましな言葉を探す。ただ普通に喋ったのでは、あまりにつまらない質問しか返せない。そしてその質問は、否定形で返答されたときにはもう、どうにかして消えてしまうよりほかに俺に与えられる選択肢はない。

 ふと、稲葉の言葉が思いだされた。寺町が俺に気があるというのだ。

 こういう状況には、寺町を普通の女子としか思っていないときに陥りたかった。それならもう、過剰な自意識に飲みこまれた奴と思われようと構わず、頑張っている、の意味を直接尋ねられた。

 「稲葉」と口にするのにひどく時間がかかった。「稲葉と、……なんかあったか」

 「ええ……? なんで稲葉くんがでてくるの……?」

 すでに期待で脆くなっていた理性が、ぷつんと切れた。

 見てみた寺町は、理解の追いつかないほどかわいらしい顔をしている。

 「……調子にのっていい?」

 「だから」といって、彼女は顔を背けた。

 「……のってっていってるじゃん……」

 食器を置いて手を伸ばし、その頬に触れてみる。こちらがそうめんを水にさらした手にしても、その頬は熱く感じた。その肌は薄い膜のようにやわらかい。上等な大福餅のようで、ちょっと指を立てればとんでもないことになってしまいそうだ。

 その緊張は「かわいい」と喉を震わせた。

 こちらを向いた寺町の普段より大きくなった目は、今にも泣きだしそうに濡れている。拒絶なのか喜びなのかわからない。

 「くすぐったい」と寺町はいう。「でも力入れたら穴開く」と返すと「そんなわけないじゃん」と笑われた。