水月はただ穏やかに、優しくそばにいてくれた。三日の休みを経て「やばい、終わんない」と騒いでも、彼は穏やかに微笑んでくれる。

 「大丈夫、きっと終わるよ」

 「そう能天気なこといってると本当に危ないよ」

 「言霊ってあるでしょう。あんまりネガティヴなことはいうものじゃない」

 「スピリチュアル!」

 「人間、追いこまれると超自然的なものにも縋りたくなるものだよ。御神籤も末吉で運勢もいまいちだっていわれたことだし」

 「嫌ね、わたしは小吉よ」

 カンヴァスに向かいながら、水月は「ふふ」と笑う。

 同じようにカンヴァスに向かいながら「楽しそうだね」といってみると、「はなが元気になった」とかわいらしくいう。無邪気な子供が、大人の風邪が治ったのを喜ぶように。

 「水月はいいよ、あれからそのままつづき描いてるんだから。わたしはもう、最初からだからね」

 「立派なことじゃない。プロ意識だ」

 「そういうことじゃないのよ」

 こんなに感情的にまくしたてても、水月は、これがわたしにとって頭や手を動かすのに必要な発散だとでも思ってくれているのか、ただのんびりと応じてくれる。

 「……なんか、水月って大人っぽいよね」

 「老けてる?」

 「落ち着いてる。高校生っぽくない」

 「ええ……じゃあ、あれ? お気に入りのストレス解消方法は、とか訊かれたときには、座禅とかいったほうがいいのかな?」

 「それは老けてる」

 「盆栽とか」

 「老けてる」

 「ジャズのレコード流しながら珈琲飲みますー、とか」

 「ああ、そんな感じ」

 「和風か洋風かの違いじゃないの、これ?」

 「いや、それじゃわたしが失礼な人みたいになるじゃん」

 「座禅と盆栽でストレス解消してる若い人もいるって、絶対」

 「水月がそうなの?」

 「いや、俺ははながいればいいから。座禅なんかやらなくても、そもそも煩悩とかないし」

 「いや、ああいうのって無にならなきゃいけないんでしょう? わたしがいちゃだめだよ」

 「え、ああいうのって仏さまと一体になる、みたいなのが目的じゃないの?」

 「そうだったらどうなのよ」とわたしは笑い返す。

 「え、だってはなって女神か精霊でしょ?」

 「ああ、もう幻覚見ちゃってる。すぐに休憩しないと。座禅組みながら盆栽の手入れしてジャズのレコード流して珈琲飲まないと」

 「だめだよ、まず初めにレコード流さないと。それから珈琲を淹れて、右手で盆栽の手入れをしつつ左手で珈琲を飲んで、……ああそうだ、あぐらかくんだから」

 「あぐらかいてるじゃん」

 「いやもう、座禅はね、絶対になにとも混ぜちゃいけないんだよ。相手がなんであれ、混ざった時点で破綻するんだから」

 「誰よ、座禅含めて三つも四つも一気にやろうとしてるの」

 「さあ……そんな人いたかなあ」と水月はちょっと楽しそうにいった。