荷物はあとで送ってやるという言葉に感謝して、水月と一緒に階段をおりた。下から軽快な足音がのぼってきて、三十代ほどの男性とすれ違った。

 踊り場におりてから、「さっきの人は見えたよね?」と水月がいった。

 「え?」とふざけてみると、わかりやすく顔色が悪くなる。「冗談冗談、背の高い人でしょ?」と笑い返すと、「本当にもう……」なんて声が弱々しくなるものだから、おもしろいというよりもうかわいらしくてたまらない。

 「びっしょびしょになるから」という声に「うわもう最悪」と苦笑する。「なんでさっきいってこなかったのよ」


 一階におりて、そのまま午前中に入ってきた方へ戻っていく。入ったときにはその瞬間からひんやりして感じたのに、こうして外へ向かっていくと、一歩進むたびにもわっとした熱気に近づいていく。

 外はもうほとんど深い紺色になっていて、下の方がまだ橙に焼けているような状態だった。これほどになってもまだ、暑い。

 「お疲れさん、先生」という弟の声に、水月が「びっくりした」とつぶやく。

 「あざ、消えなかったか?」という葉月に、水月は「またつけてもらった」と答える。「ああそうかよ」と葉月が苦笑する。

 「会いにきたでやんすよ」と明るい声が弾け、その声の主がわたしに飛びついてきた。

 「ええ、きてたの?」

 「本当は花車くんと一緒に上までいったんでやんすよ? でも二人とも忙しそうっていうかまじめな顔してたから、声かけるのも、こっちが勇気要る感じになっちゃって」

 「ああ……!」

 あのハナコさん(、、、、、)はこの二人だったわけだ。

 「売れたかい」という葉月に、水月は「思ったよりずっと」と答える。

 「いやあ、すごいねえ」というてらちゃんを、わたしはちょっと、花車きょうだいから遠ざけた。

 「すごいじゃん、デート?」と声をひそめる。

 「まだ告白はできてないよ。でもちょいちょいこうして、一緒に遊んでる」

 「それもう完璧じゃん」

 「そうかなあ……」と彼女は眉をさげる。「でもなんか、あんまり好かれてなさそうっていうか。初めてちゃんと話したとき、ちょっと怒らせちゃったっていうか……だからなんか、ちょっと難しそうで」

 「そうなの? じゃあもうあいつ、最初はとにかくそういう態度とる奴なんだよ」

 「そうかなあ……」

 「大丈夫だって。まあ……もし怒らせたっぽいっていうのを、まだ向こうが引きずってるようなら、それは解消した方がいいかもしれなけどね」

 「あんな感じになると思わなくて……考え方とか全然違うっぽいから、どうなんだろう」

 「なにがあったの?」

 てらちゃんはちょっと迷うように目だけで空を見あげ、やがて視線をこちらを戻して「ううん」と首を振った。「ここまできたら、砕けるんでもあたってみるよ。いいたいこと全部いって、砕けなければラッキーぐらいに構えてみる」

 「うん、それがいいよ」とうなずくと、てらちゃんは「うまくいってるときもっちにいわれても、あんまり説得力ないけどね」と困ったように笑った。

 「これがてらちゃんの未来だよ」とおいちゃんの言葉をまねてみると、てらちゃんは「知ってる」と笑った。その目の奥は、ちょっとだけ不安そうでもある。