絵を包んだダンボールを紐でまとめ、そのダンボールに簡易的な肩紐を作った。

 「よし、いこうか」

 「えっ」と水月は顔色を悪くする。

 「いくでしょ。なんのためにこんな大仕事してるのさ」

 一万円を惜しんだため——だけれども、それ以上に、有馬画廊へこれらを持っていくためだ。

 「ちょっと待って、ちょっと深呼吸させて」

 「さあ吸ってー」といってわたしは両腕を広げて自分も深く息を吸いこんだ。「吐いてー」と腕をおろしながらゆっくり吐きだす。

 「よしいこう」

 「ちょっと待って」

 「なにさ。歩いて三十分くらいかかるんだけど。開くの、九時らしいんだけど」

 「ちょっと待って、なんでそんな堂々としてるの」

 「なんでそんなおどおどしてるの。俺たちにはすべてが足りないっていって、あてもなく歩きだしたのは誰よ」

 「あの、それは……ほら、あるじゃん、なんか急にハイになるの」

 「わからなくもないけどあんまりわからない」

 「ちょっと待って、今本当に気が狂いそうなのよ、わかる?」

 「共感はできないけど、見てればなんとなくそうだろうなっていう想像はできる」

 わたしは勝手に自分の絵を背負った。ダンボールとの間に自分が入れる程度の長さの紐を幅の広いセロハンテープでとめただけのものだけれど、しばらくは頑張ってくれそうだ。

 「ちょっと待って、泣きそう」

 「なにがそんなに怖いのさ。深呼吸したでしょ?」

 「深呼吸は万能薬じゃない」

 「いいや万能薬よ。深呼吸をすればすべてが解決する。さあ吸ってー」

 わたしはまた腕を広げて息を吸った。「吐いてー」とゆっくり吐きだす。

 「それともどう? ラマーズ法がよろしくて?」

 「なんて……?」

 「ひ、ひ、ふーって。効率的に酸素をとりこめるらしいよ」

 水月は、わたしに見えているよりつらいのか、二度短く吸って一度長く吐く、というのをやった。

 わたしは背負った絵を置いて、前髪を震わす小さな頭を抱いた。もたれてきた肩も抱きしめる。

 「大丈夫。わたしたちは桃太郎じゃないの、相手はみんな人間。怖がることない」

 胸の奥が擦りむいたように痛む。わたしは水月の黒髪に、唇で触れた。

 「ごめんね、わたしのわがままで……」

 無理強いなんて、してはいけないのに。

 背面の服がきゅっと握られた。

 「はなは悪くない」

 わたしは水月の髪を撫でる。目の奥が重くなって、唇を噛む。細いけれどしっかりとした、指先からさらりと逃げる髪。ほんのりとシャンプーの香りがする。悲しいほど優しく、穏やかな心地よさで満たされる。悲しいのは、擦りむいた胸の奥だけだ。目元の熱が、頬を伝って水月の黒髪の表面を転がった。

 「俺はいつも、自分で決断してる」

 強く、腕の中の体を抱きしめる。壊れてしまわないように、ふわりふわりと消えてしまわないように。

 「……さあ、……びびってちゃ始まんないよ。売れなくたって地獄に落ちるわけでもない、気楽にいくよ」

 水月は顔をあげると、わたしの頬を優しく拭った。

 「恥も失敗も、俺たちを殺さない」

 「お、いいこというね」と笑い返すと、ほんの一瞬の間があってから、水月は「まあね」と得意げに笑った。

 「さ、その意気よ」といって体を離すと、「ちょっと待って」と返ってきた。それがさっきのよりもずっとふざけた調子だったので、「待たない」といって立ちあがる。