お風呂あがりに部屋へ戻ると、携帯電話で早速『有馬画廊』と検索をかける。公式サイトまであるような画廊だった。

 電話番号をメモアプリに記録する。

 学校から帰ると、わたしはメモアプリに記録した番号を呼びだした。こういうのはもう、勢いだ。やってしまえば戻れない。そしていざやってしまえば、だいたいそれなりに平和なエンディングを迎えるものだ。

 「お電話ありがとうございます、有馬画廊です」

 感じのいい男性の声にびくりと体が震える。これが有馬さんなのだろう。

 「あ、えっと……展覧会、というか……販売に、場所をお借りしたいんですけれども……そういうのってやってますか……?」

 「はい、承っております」

 心臓がうるさい。

 「そうですか……いつ、空いてますかね……?」

 「そうですね……はい、八月の三日からというのが空いております」

 「あ、えっと、それってどれきらいの広さ……ですか……?」

 こっそりと深呼吸していたら、相手の返事を聞きそびれてしまった。

 「え、あ、それほど大きくないものを十枚ほどなんですけど……」

 「はい、大丈夫ですよ」

 ああ、もう知ったことではない。向こうが大丈夫といっているのだ。

 「じゃあ、その八月三日、お願いしていいですか」

 「何日間になさいますか」

 やべ、と声にでそうになる。そんなことまではまったく考えていなかった。

 「普通どれくらいですかね……?」

 「単日から一週間ほどまで、さまざまです」

 思い切り叫びたくなる。思いついた日数でいいから具体的な数字を教えてよ……!

 「えっ……と、あ、その……日数によって料金とか変わりますか……?」

 「単日でしたら三万五千円、一週間でしたら二十二万円でございます」

 「三万五千円」

 「はい」

 「二日なら六……あ、七万円って感じですかね」

 「はい、六日間まではそういった形で」

 で、一週間だと一日あたりの料金がちょっと安くなると……。いや、二十二万どころか三万五千円なんてそんな大金は持ち合わせていない。あなたの大学時代の後輩の青山浩美の姪なんですけど、とでもいえば安くしてくれるだろうか。

 「えっ……と、じゃあ、その……単日で」

 「八月三日の単日で」

 「あ、はい……」

 「かしこまりました。お名前を伺ってもよろしいでしょうか」

 「時本と申します……」

 「作家さま個人へのお貸出しということでよろしいでしょうか」

 途端に胸がときめく。作家さま。作家。作家……なんて魅力的な響き!

 「あ、えっと、二人……になりますかね……」

 「はい、それでしたら個人ですね。一万円で作品の運びこみも承っておりますが——」

 「ああ結構です、大丈夫です」

 三万五千円のほかに一万円? この人は、家と学校の往復しかしていない高校生の財布が常日頃どれだけおなかを空かせているか知らないのだ。

 「八月三日、個人でお貸出しのみですね。……はい、承りました」

 「あ、はい、では……よろしくお願いします……」

 「はい、お待ちしております」

 「はい……」

 「失礼致します」

 「失礼します……」

 なんとか通話を切ると、直前までの記憶がもうほとんどない。

 しかし、三万五千円だ。それだけあったならどれだけ画材が買えるか。おいちゃんがあれだけ負けてくれているのだから、かなり買える。定価で買って、ちょっとしたお礼もできる。

 いやいや。

 両手で頬を挟むように、ぱしんと叩く。

 弱気になっちゃいけない。三万五千円。それ以上に売ればいいのだ。一枚五千円なら八枚。全十枚のうち、二枚がまったく売れなくてもいいのだ。欲張ってもうちょっと高い値段をつければ、もっと少ない数でいい。

 上等じゃないの。三万五千円。売ってやるわよ。

 わたしだけでは心細いけれど、水月がいるのだ。どれだけ謙虚に考えたって、水月の絵だけで五枚は売れるだろう。わたしの絵が三枚ばかり頑張ってくれれば、レンタル料はなかったことにできる。それどころか五千円の利益だ。

二人で二千五百円づつ。もう充分だ。高校生二人で四万円分もの絵を売った。こっそり悦に入るくらいは許してもらえそうじゃないの。