葉月を呼び、彼が応じてくれるたび、俺は「どうしよう」といった。「知らないよ」といいながらも付き合ってくれるのだから、本当にどちらが兄なのかわからない。

 「なにをだす」と縋る気持ちでいうと、「なんでもいいじゃん」といいながらそばで審美してくれる。

 「個人的なことをいえば、俺は水月の花の絵が好きだ」

 「そう?」

 「ほら、これとか」と彼の人差し指が向いたのは、葉月の生けた花を描いたものだった。

 「じゃあ、まずそれを入れよう」

 「俺に選ばせるとこういうのしかでないぞ」

 「私情?」

 「もちろん」

 俺が苦笑すると、葉月は「女の絵は絶対に選ばない」といった。つづけて「飼い慣らしたジェラシーが暴れるからな」と小さく笑う。

 ふと思いだした。自分のことでいっぱいになっていて、葉月がこの頃楽しそうなのに気がつくのにも時間がかかった。これは本当にどうにかしなくてはならない。

 「そういえばおまえ、この頃ちょっと楽しそうじゃないか?」

 途端、葉月は頬を赤くした。「ばっ、別に、そんなことねえよ……」

 俺は噴きだしそうになるのをこらえて「なんかあったんだ?」と重ねる。

 「うるせえ。だいぶ前だよ、もう」

 「色恋?」

 「黙れ」

 「かわいい?」

 「半ば人間やめてるような奴だよ」

 「もう美人なんてレベルじゃない美人ってわけだ」

 「だったらよかったな」

 「違うの?」

 「いや、見てくれはかなりいいよ。あまり好みじゃないけど」

 「失礼な奴だな」と俺は苦笑する。

 「とにかく考え方がおかしいんだ」

 「それは大問題じゃないか。変わっていく見た目の一瞬に惹かれたわけじゃない、考え方にも賛同できない、それでなんで好きなんだ?」

 「好きとはいってないだろ、ばか」

 「俺にはちょっと理解できないんだけど」

 「理解しなくていい、こんなの」

 「最愛の弟のことなのに?」

 「だったらこうなる前に気づけよ」と笑いながらも鋭く返ってきて、俺はなにもいえなくなる。「ごもっとも」と苦笑するのが精一杯だ。

 「普段はいい人なんだよ、普通の、どこにでもいるような」

 「でも考えがぶっ飛んでいると」

 「そういうところを見たのは一回だけなんだけど……」

 「なんだっていうんだ、その美人さんは」

 葉月は口を開いたまま静止した。しばらくそうしてもったいぶり、それからかぶりを振った。

 「ちょっといえない」

 「なんでさ」

 「いや、やばいんだって、まじで。怖いんだよ」

 「なら距離を置くべきだよ」

 「俺だってそう思うよ、でも普段の調子を見ちゃうと、どうしても印象が変わるんだ。それで、別れてから思いだすんだよ」

 「ほう……」これはまた大変そうだ。

 「で、彼女はなんていうんだ?」

 「手前楽しんでんだろ、人でなしが」

 「楽しんでなんかいない。ちょっとでも兄貴面したいだけだよ」

 「しなくていい。そんなだっさい面しなくたって」

 「しなくたって?」

 「黙れ。手前のこと心配しろよ。ほらもう夏休みが始まるぞ?」

 胸の奥が重苦しくなって、「おまえもなかなか性格が悪くなったな」と俺は苦笑する。「彼女の影響かな?」

 「いいか、まじでおまえだってな、あいつのあの言葉を聞けば震えあがるぞ」

 「どいつのどの言葉だよ」

 「作り物みたいな顔した女の、人を人と思ってないような言葉だよ」

 ふと、初詣で千葉に会ったことを思いだした。いとこと一緒にきたといっていた。

 「その人、いとこと初詣きてなかったか?」

 葉月はちょっと睨んでから、「きてたとも」とうなずいた。

 「どこまで知ってる」

 「どこも知ってない。これは俺の希望だよ。顔も名前も知らない人だけどね、やっぱり話に聞いちゃえば気になるじゃない」

 葉月の目に驚きと蔑みの色が満ちた。「……気になるって、おまえには時本がいるだろ」

 「そういう意味じゃない。俺だってそこまで悪い奴じゃない」

 葉月はごろりと大の字なりに寝転んだ。

 「人間って、怖いよな」

 「まったくだ」

 「人となんか関わらないで、花だけ育てていられたらいいのに」

 「そうだね」

 「庭にある植物を増やしてさ、緑のいっぱいな家で、植物の手入れをしてさ。手入れで切ったものなんかを生けてさ、そんなに平和な生活はない」

 俺は机の上の絵に視線を落とした。

 「俺も、葉月の花を描くのは楽しいよ」