水月に描かれることは、水月を描くことは、わたしをまるで仏さまのようにした。その時間は、一切の雑念を煩悩を持たなかった。

 それよりほかに、ほしいものなどなにもなかった。水月の使う絵具のにおいが、水月の動きについていく衣摺れの音が、ふいに見える視線の結び目が、全身を包む穏やかな静けさが、ただ優しく、甘やかにわたしを満たした。もはやこの幸せが失われるなんていうことも考えないほど満たされ、これを失いたくないなんていう欲もなくなった。

 水月と過ごす時間が、この上ない幸せになった。心地よい緊張ととろけるような幸福感は、混ざり合ってこれ以上にないほど美しい色になった。

 「はな」と呼ばれるたびにうっとりする。自分の名前が、ほかのどんなものよりも素敵な名前であるように思えた。

 「ん?」と応えるのが至上の幸せになった。

 「好きな花はある?」

 「花水木」といってみると「本当?」と笑われた。

 「花水木って、もう水月でしかなくなっちゃった。見てみたいな、実際に」

 「今度おいでよ」

 「ああそっか、庭にあるんだもんね。水月と花水木を同時に見られるんだ。そんなに贅沢なことはないね」

 「本当に花水木でいいの?」

 「なにが?」

 「はなの周りに描こうと思って」

 「なるほどね」と納得した。「じゃあ水月が好きに描いてよ。わたしに似合いそうな花。実在しないような花でもいいよ」

 水月は小さく唸った。「どうしようかなあ……。なんでも似合いそう」

 「たとえば?」

 「パンジーとか。濃い紫のとか、白もまた似合う」

 「思い思いに描いて。あとでじっくり解説してもらうから」

 「落ち着かないなあ」と水月は笑った。

 わたしは胸の奥のあたたかさをじっくりと味わい、そっと目を閉じる。

 「水月」と呼んでみると、「ん?」と優しい声が返ってくる。

 「ううん、ちょっと呼んでみただけ」と正直にいうと、彼は喉を鳴らすように、静かに笑った。

 水月、という四つの音ほど、口にして心地よいものはない。
 水月の話し声、笑い声ほど、聞いていて心地よい音はない。
 水月を感じられる場所ほど、ずっといたいと思う所はない。

 水月と一緒にいる時間ほど、止まってしまえと願う時間はない。

 水月、水月と、口の中でその名前を繰り返し呼ぶ。まるで飴玉のように、その名前をじっくりと舌の上で転がす。

 幸せというものに触れられるような形があるのなら、幸せというものがわたしに聞こえる音を発するのなら、それはまさに、水月の姿で、水月の声を発するのに違いない。

 わたしは胸の奥でそっと、心をうっとりと酔わす蜜を、深く吸いこんだ空気に溶かした。

 自由ばかりが生きることではないのかもしれない。

 少なくとも今、自由のすぐそばにある一人の時間よりも、ちょっぴり息苦しくなる水月との時間を求めている。

 息苦しさは必ずしも不快なものではないのだと知ってしまった。胸は、嫌なものはもちろん、ほしいものでいっぱいのときでも、苦しくなるものらしい。