訊けば、水月も二年生にあがった四月五日、自分の名前を二年五組の中に見つけたという。知った途端、なんだかとても嬉しくなった。水月と同じ教室にいられるかのような感じがした。
四月の第一土曜日、プリン味の飴玉を口の中で転がしながら絵の構図を考えていると、「はな」と呼びかけられた。「ん?」と応えると「ちょっと、横になってみて」といわれた。
いわれるまま床に体を横たえると、水月は「うん、かわいい」と満足そうにつぶやいた。
わたしは天井を見つめたまま「なんか」といってみる。「なんかわかんないけどこれ、すっごい恥ずかしいんだけど」
「大丈夫、リラックスして」
水月はなにか小さな音を立てると、「今は起きてていいよ」といった。わたしはすぐに上体を起こした。飴玉の甘さが喉の奥へ入りそうになった。何度か咳払いをして落ち着ける。
水月はなにやら携帯電話を操作していた。
「なに、こんなところ描くの?」
「下を畳にしてさ、花とか花びらでも散らしたら綺麗だなって」
あぐらをかいていた水月は、「よし」というと軽快に立ちあがり、「さくらを持ってきたんだ」といった。「造花だけど」と。
わたしは水月にいわれるまま、淡紅の花びらの散る床に体を横たえ、手にさくらの咲く梢を持った。その手首の横に左手を置き、体を横向きにした。
「水月」と呼んでみると、彼はすぐそばに座った。
「このあと、水月のこと描かせてね」
水月はそっと、わたしの髪を流すように指先で撫でた。そしてせっかくの綺麗な穏やかな声で「どきどきするね」なんていうものだから噴きだしてしまう。
「なんでよ」
「はなに見られるとどきどきする」
「わたしでも慣れたのに、まだ?」
水月はしばらく黙ったあと、「変なこといっていい?」といった。わたしは「だめ」と即答する。
「はなは俺がどれほどはなを好きかわかってない」と一切恥じらうふうでもなくいうのでこちらが小恥ずかしくなり、「うるさいよ」と苦笑する。
「いいから描いてよ、いつまで寝てなきゃいけないの」
「はな」
「なに」
「こうしていちゃついてる俺たちを描けたら、そこそこな絵になりそうだね」
「なんで」
「変なこといっていい?」
「だめ」
水月は静かに笑って、優しい指先でわたしの頬をくすぐる。「猫みたい」とささやく声に心臓がうるさくなる。
「その絵の題名は、」
「まだつづくの?」
「幸せ」
わたしは湧いてくる興奮を勇気に変換して、「安らぎがいい」といった。
「永遠は?」
「ちょっと芝居がかってる」
「純愛」
わたしはふと、水月が自分の名前をミヅキと間違えられることがあるといっていたのを思いだした。
「ハナミヅキは? 『つ』に濁点で」
「ハナと」という水月に、わたしは「水月で」とうなずく。
「そういえば、花水木のほかにも水の木って書いてミズキっていう植物もあるんだってね」
「そうなの?」と水月はいった。
「花水木は海外からきたもので、水木は日本とかその近くの植物なんだって。で、その水木の別名が車水木っていうんだって。水月みたいな名前だね。花水木も、水木より花が目立つとかなにかで、水木に花をつけて花水木なんだって」
「車水木に花をつけたら……」
「ハナクルマミズキ」
「俺の承認欲求の強さはこのせいかな」と水月は笑った。
「ん?」
「わたしを受け入れてください、みたいな花言葉じゃなかった?」
「おお、そうなんだ! すごい、水月、絶対負けないじゃん」
「はながいればね」と水月は優しく微笑んでささやいた。わたしはそっと頭を撫でてくれる手に目を閉じて、「負かさないよ」と答える。
水月のと、わたしのと。二つの人生が懸かっているのだ、なんとしても今年のうちに、理想の人生を手に入れる。
目を開けて、左手の小指を立てた。水月の顔を見あげると、そっと小指に絡む体温があった。「心強いね」という声に「幸せになろう」と返す。
今だって充分に幸せだ。水月がいてくれて、たまに千葉さんのいる店でかつ丼を食べて、薫風堂のおいちゃんは安く画材を売ってくれて、なにより、夢を応援してくれる家族がいる——家族といってもお母さんだけなのだけれども——。
でも、わたしは貪欲だ。水月と二人で、絵を描く人生を手に入れたい。その幸せを、今の幸せに加えたい。
わたしは、自分の小指に絡んだ水月の長い指を、自分の顔に近づけたくなった。けれどもそんなことをすれば気持ち悪がられるだろうと理性をとり戻し、代わりに、小指にきゅっと力をこめた。
「妬まれるくらい、憎まれるくらい、……幸せになろう」
四月の第一土曜日、プリン味の飴玉を口の中で転がしながら絵の構図を考えていると、「はな」と呼びかけられた。「ん?」と応えると「ちょっと、横になってみて」といわれた。
いわれるまま床に体を横たえると、水月は「うん、かわいい」と満足そうにつぶやいた。
わたしは天井を見つめたまま「なんか」といってみる。「なんかわかんないけどこれ、すっごい恥ずかしいんだけど」
「大丈夫、リラックスして」
水月はなにか小さな音を立てると、「今は起きてていいよ」といった。わたしはすぐに上体を起こした。飴玉の甘さが喉の奥へ入りそうになった。何度か咳払いをして落ち着ける。
水月はなにやら携帯電話を操作していた。
「なに、こんなところ描くの?」
「下を畳にしてさ、花とか花びらでも散らしたら綺麗だなって」
あぐらをかいていた水月は、「よし」というと軽快に立ちあがり、「さくらを持ってきたんだ」といった。「造花だけど」と。
わたしは水月にいわれるまま、淡紅の花びらの散る床に体を横たえ、手にさくらの咲く梢を持った。その手首の横に左手を置き、体を横向きにした。
「水月」と呼んでみると、彼はすぐそばに座った。
「このあと、水月のこと描かせてね」
水月はそっと、わたしの髪を流すように指先で撫でた。そしてせっかくの綺麗な穏やかな声で「どきどきするね」なんていうものだから噴きだしてしまう。
「なんでよ」
「はなに見られるとどきどきする」
「わたしでも慣れたのに、まだ?」
水月はしばらく黙ったあと、「変なこといっていい?」といった。わたしは「だめ」と即答する。
「はなは俺がどれほどはなを好きかわかってない」と一切恥じらうふうでもなくいうのでこちらが小恥ずかしくなり、「うるさいよ」と苦笑する。
「いいから描いてよ、いつまで寝てなきゃいけないの」
「はな」
「なに」
「こうしていちゃついてる俺たちを描けたら、そこそこな絵になりそうだね」
「なんで」
「変なこといっていい?」
「だめ」
水月は静かに笑って、優しい指先でわたしの頬をくすぐる。「猫みたい」とささやく声に心臓がうるさくなる。
「その絵の題名は、」
「まだつづくの?」
「幸せ」
わたしは湧いてくる興奮を勇気に変換して、「安らぎがいい」といった。
「永遠は?」
「ちょっと芝居がかってる」
「純愛」
わたしはふと、水月が自分の名前をミヅキと間違えられることがあるといっていたのを思いだした。
「ハナミヅキは? 『つ』に濁点で」
「ハナと」という水月に、わたしは「水月で」とうなずく。
「そういえば、花水木のほかにも水の木って書いてミズキっていう植物もあるんだってね」
「そうなの?」と水月はいった。
「花水木は海外からきたもので、水木は日本とかその近くの植物なんだって。で、その水木の別名が車水木っていうんだって。水月みたいな名前だね。花水木も、水木より花が目立つとかなにかで、水木に花をつけて花水木なんだって」
「車水木に花をつけたら……」
「ハナクルマミズキ」
「俺の承認欲求の強さはこのせいかな」と水月は笑った。
「ん?」
「わたしを受け入れてください、みたいな花言葉じゃなかった?」
「おお、そうなんだ! すごい、水月、絶対負けないじゃん」
「はながいればね」と水月は優しく微笑んでささやいた。わたしはそっと頭を撫でてくれる手に目を閉じて、「負かさないよ」と答える。
水月のと、わたしのと。二つの人生が懸かっているのだ、なんとしても今年のうちに、理想の人生を手に入れる。
目を開けて、左手の小指を立てた。水月の顔を見あげると、そっと小指に絡む体温があった。「心強いね」という声に「幸せになろう」と返す。
今だって充分に幸せだ。水月がいてくれて、たまに千葉さんのいる店でかつ丼を食べて、薫風堂のおいちゃんは安く画材を売ってくれて、なにより、夢を応援してくれる家族がいる——家族といってもお母さんだけなのだけれども——。
でも、わたしは貪欲だ。水月と二人で、絵を描く人生を手に入れたい。その幸せを、今の幸せに加えたい。
わたしは、自分の小指に絡んだ水月の長い指を、自分の顔に近づけたくなった。けれどもそんなことをすれば気持ち悪がられるだろうと理性をとり戻し、代わりに、小指にきゅっと力をこめた。
「妬まれるくらい、憎まれるくらい、……幸せになろう」