俺に教えるとき、父はのんびりといった。「お花を生けるときには、余計なことを考えちゃいけないよ」と。

 俺は花器の前に正座して、気を落ち着ける。花の——植物のことだけを考えるんだといい聞かせる。ほかのことを考えるのは植物に対して失礼だからだ。父がのんびりといった言葉を胸に刻むように思い出す。

 ふとそちらを向けば、縁側を小さな虫が歩いているのが見えた。

 虫、虫——。

 「ハナムグリ」というあの女の声が耳の奥に蘇り、俺は両手で顔を覆った。

 ああもう、うるっさい——。

 「時本はな。愛すは自由、憎むは束縛、過剰な規則です」

 おまえがいうかよ。

 俺の安らかな日常から、自由をひったくるおまえが。

 「楽しそうだね」と声がして、手をおろして顔をあげると、縁側と部屋とを隔てる障子が全開になっているところに右肩を当てて腕を組んだ水月のにやけ面が見えた。

淡い青の着物にくすんだ緑の帯を締めている。俺と違って、水月は和装を好む。

 俺は「それはおまえだろ」といい返した。

 「俺には気に入らない人(、、、、、、、)なんていない」

 「いい加減なことばっかいいやがって」

 「とんでもない」と水月は驚いたような声でいう。わざわざ確認はしないけれども、あの大げさに「心外だ」とでもいうような顔をしているのだろう。

 「俺の言葉にはいつだって、裏も表もない」

 「じゃあ昨日の帰り道にいったのも本気でそう思ってんのか」

 「そうだよ。もちろん、あれは俺がそう思ったってだけで、本当にそうとは限らない。俺の想像を正解とするか不正解とするかは、葉月の本音次第だよ」

 俺はズボンの上で手をぎゅっと握った。

 「冗談じゃない」

 「賞金がかかったクイズでもないんだし、俺は正解でも不正解でも構わないよ。ただ、葉月のプライドが葉月の本音に『不正解』を押しつけるのはよくない」

 なんともいえなくなって、俺は苦笑した。

 「葉月はどうも自尊心が強い。でも俺にいわせればさ——」

 「いわせねえよ」

 「誰に熱しようと冷めようと、葉月は尊い。虚栄心が覗くときくらいだよ、その尊さが(かげ)るのは」

 俺は限界まで息を吐いて、その反動で吸い込んだ空気で「くっさいなあ」と笑った。

 「ないわ、本当に。詩でも書いてろよ」

 「おっ。俺には詩の才能があるのか?」

 「あとで消えたくなるような詩の、な」

 「そうか、俺には詩の才能があるのか」

 俺は剪定鋏を右手、茎を左手に持った。

 「まあそれ以上に絵だろうよ、おまえは」

 「なんかいった?」という水月に「いいや」と返して、茎を適当な長さに切った。

 「詩のテーマならいくらでも教えてくれ」

 「うっせえ、ばーか」