千葉と稲葉が話しつづけるうちに寺町がすぐ近くにきていた。

 「意気投合って感じだね」と彼女はいった。

 「まじで?」と稲葉の声があがる。「あっちにあったよ」と千葉が返す。そしてそのまま、二人は当然のように、千葉のいうあっち(、、、)に歩いていった。

 「あたしたちのことなんて眼中にないみたい」と寺町が笑う。

 「寺町って、あのいとこと仲いいの?」

 「うん、友達みたいな感じ。あっちにお兄ちゃんもいてね、本当は三人できたかったんだけど、お兄ちゃんの方はバイトがあるっていって」

 「忙しいんだ?」

 「大学生なんだけど、学校がないときはほとんどバイトしてるの」寺町は「楽しいんだって」というと、「変わってるよね」と笑った。

 「どんな仕事してるの?」

 「かつ丼屋さん、チェーンの」

 「いったことある?」

 「うん、前にときもっちと一緒に」

 常に頭の片隅にありながら、ひどく懐かしい名前に感じられた。

 「そうか、……仲よさそうだもんな」

 「さっき、ちょっと話してきたんだ」

 「そうか」

 寺町はしばらくの沈黙を、「なんか」とやぶった。

 「男の子と一緒にいたよ。わたしたちくらいの年に見えた」

 「そうか」

 「気にならないの?」

 「なんで」

 「花車くんって、ときもっちのこと好きでしょう?」

 「寺町が見た男の子(、、、)には敵わない」

 彼女は驚いたように、元々大きな目を見開いた。「知ってる人なの?」

 「花車水月」

 寺町の目はいよいよ落ちそうなほど大きくなった。

 「え……じゃあ、ちーちゃんの……さっきいってた、友達って……」

 「俺の兄で、ときもっち(、、、、、)の恋人」実に爽やかな恋模様だなと苦笑して、俺は肩をすくめた。

 「花車くんはそれでいいの?」

 「鬱陶しい未練も断ち切れた。なにも問題ない」

 「花車くんは、水月くんのことも、ときもっちのことも、大好きなんだね」

 「そうかもな」

 「じゃなきゃ、どんなに醜くてもばかでも……引けないもん」

 寺町は大きな目で——稲葉好みの大きな目で——見あげてきた。

 「つらいでしょう」

 「思い切り応援してやれるほど大人ではないな」

 「代わりの人は探さないの?」

 「おまえ、性格悪いだろ」

 「ひどいこと?」

 「なにが」

 「好きな人が自分じゃない人と付き合って、でも好きな人のことはまだちょっと気になる。その状態で次の恋に進むのを、代わりっていうこと。それはひどいこと?」

 背筋がぞっとした。この女はものすごく性悪な奴かもしれない。乾燥した冬の空気がじっとりと湿り、快晴とはいえないまでも暗くはない空が夜闇に溶け、からすかなにかの鳴き声が響いてくるような、そんな心地がした。気味が悪いというより寒気に震えるほど怖く、今すぐにでも逃げだしたいような、そんな心地。

 「ひどいっていうか……相手に失礼だろ、そんなの」

 「じゃあ、失礼になればいい」

 「は……?」

 この女はなにをいっているのか。自分がそれなりにまともな思考を持っていると信じてしまうより早く、目の前の女を疑う気持ちが湧きあがってくる。これが自分と同じ人間だと、その考えが自分と同じ人間の考えることだと思うと、自分の生きる世界が恐ろしい場所のように思えてならない。

 「誰もその好きな人にはなれないんだよ。なら、あれもこれも妥協して、別の人を好きな人の代わりにするしかないじゃん。それが失礼なら、ひどいことなら、失礼になればいいよ、ひどいことをすればいいよ」

 はあ?とも、なにをいっているんだとも、声がでなかった。こいつには人の心がないのかもしれない。

 稲葉はこいつのこういうところを知らないのだろうか。それならそれでいい。それがいい。面食いといったって、好きな人がこんな性格であるのを知ったら、その衝撃は大きいことだろう。

 「……そ、そういうもんじゃないだろ。好きな人のことは、もう諦めるしかないだろうさ。その人に相手ができたんだから。それはわかるよ。でも、そのうちに諦めがついて、そのあとにまた、惹かれる人に会えて、付き合ってって、……そういうものだろ。代わりとか、そんな……」

 寺町は、なぜかそちらがつらそうな顔をして俯いた。「……でも、相手が……」という声も震えている。泣きたいのはこっちだ。初めてまともに話した相手がこんなに怖い人なんだから。

 「相手が、代わりでいいっていったら?」

 「は?」

 「相手がその人の好きな人の代わりになりたかったら、それもひどいことなの? それも、……だめ?」

 「それは……もう、その二人でどうにかするしかないだろうけど、……少なくとも俺はそんなことはしたくない」

 寺町は空を仰ぎ、白い息を吐いた。「寒いね」といってこちらを向いた目元は濡れ、鼻は寒々しく赤くなっている。

 「甘酒、もらってくる」といって彼女は歩きだした。そのまま放っておくのもなんだか後味が悪いような感じがして、そのあとについて歩く。