しばらく——主に稲葉が——くだらない話をして、寺町とそのいとこと別れた。

 卓球センターと同じく駅前にある牛丼屋で注文を済ませると、稲葉は「寺町のこと好きなの?」なんていってきた。

 「なんで」

 「不自然なほど二人を見ないようにしてた。隣の台使ってたんだぜ? 気づきそうじゃんか。でもおまえは最後に俺が寺町を寺町って呼ぶまで知らんふりしてた。寺町が男といたから見たくなかったんだろ」

 「俺はねちっこい。だから男女の二人組を見たくなかったんだ」

 「ええなに、振られたとか?」

 「負けたんだよ」

 「誰に」

 「そこまで訊くのか」

 「俺は重たい槍を持ってないんだ、軽い盾なら持ってるかもしれないけど」

 「まずは普通の槍を持つことだな」

 「で、誰に負けたの?」

 「おまえまじで最低だな」

 「そんなにいいたくないなら、まあいいけど」

 俺は先に運ばれた水を一口飲んだ。稲葉が希望を見るのを感じたけれども、なにも答えるつもりはない。しばらく黙っていれば、今度は彼が諦めるのを感じた。

 時本はな。——今日も、水月はでかけたのだろう。あの天女を描くために、あるいはあの天女に描かれるために。

 「ちなみにさ」と稲葉はいった。

 「誰が好きだったの?」

 「なにおまえ、他人の色恋沙汰に尋常じゃない興味持つじゃん。なに」

 「他人の、じゃない。花車葉月の色恋沙汰に興味があるんだ」

 「気持ち悪いよ。だったら誰のも彼のも構わず首突っこめよ」

 「その誰も彼も、おまえじゃない。打倒田崎を目指してない」

 「は?」

 「おまえに、色恋沙汰でも弱点があるならそこを突いて倒す」

 「うわ最低だよ。なに、精神的に弱らせて勝って楽しいの?」

 「俺は勝ちに——」

 稲葉が熱苦しく語り始めようとしたところで、牛丼が届いた。

 「並と」とカウンター越しに差しだされたのを稲葉が「あざっす」と受けとり、「並と生たまごですね」と差しだされたのを俺が「ありがとうございます」と受けとった。

 「ごゆっくりどうぞー」

 稲葉は箸をとり、一膳こちらによこした。俺が受けとると、彼は「俺は勝ちにこだわってるわけじゃない」といった。

 「田崎とあたることにこだわってるんだ。そのためなら多少汚い手を使うことも(いと)わない」

 「厭え厭え、そんなこと。そんな形で俺に勝ったって、先輩に勝てるとも思えない。本当にただ試合ができればいいのか?」

 「おまえが俺をえぐってどうするんだよ」と稲葉は苦笑する。

 「そんなつもりはない。ちょっと確認したかったんだ」

 俺は一口、大きく頬張った。なかなかに幸せな瞬間だ。箸先半寸、長くて一寸——知ったことではない。

 「花車はなんのために卓球やってんの?」

 「先輩を倒すため」

 「まるで迷わないじゃん」と稲葉は笑った。

 「なに、おまえは迷うの?」

 「じゃあおまえは、なんで田崎を倒したいの?」

 「尊敬してるから」

 「無敵かよ」と彼は苦笑した。

 「俺はなあ……田崎とやりたいけど、なんでかわかんない」

 「好きだからじゃないの? わざわざ先輩追っかけて中学校で始めたんだろ?」

 「でもなんか、花車ほどこだわってない気がする」

 「相手を精神的に崩してまで戦いたかった奴が?」

 「正々堂々、なんて、まるでかけ離れてるじゃん」

 「こだわってるからこそ、そうまでしたいんじゃないの?」

 「もう諦めてるのかもよ、花車に勝つのは。だからこんな変なこと考えるんだ」

 「そうかねえ」

 半分ほど食べ進めたところに生たまごを割った。うわうまそ、と横で稲葉がつぶやく。

 「じゃ、先輩は俺が潰すってことでいい?」

 「だめ」と返ってくるのは早かった。

 「こだわってんじゃん」と笑い返して、俺は見せつけるようにたまごを混ぜた牛丼を頬張った。

 「なあ」

 「なに」

 「もう一回卓球センターいかねえ?」

 「ばかか。俺さっき五百円玉崩しちゃったろうが」

 「奢るから」と声を高くする稲葉に、俺は一口水を飲んでから息をつき、「あとで返すよ」と答える。

 ちょうど前を通った店員に、稲葉は「あ、すいません」と声をかけた。まだ金を持っているのかと驚いたけれど、彼は「水もらっていいですか」とグラスを差しだしただけだった。注いで稲葉に返した店員が「いかがですか」と声をかけてくれたので、「お願いします」と俺も差しだした。