たくさん、はなの絵を描いた。一枚、また一枚、さらに一枚と、はなの目を、手を腕を、足を、服の裾を描いた。

それはまるで、禁を犯しているみたいだった。

触ってはいけないといわれているものを、指先でほんのちょっと触ってみたら、もっとはっきり触りたくなる。手のひらで触ってみたくなる。手のひらで触ってしまえば、その手のひらを、ちょっと動かしてみたくなる。

こっそり台所に入って、おかずを盗み食いする。ひとつ食べてしまえば、もうひとつくらいばれないだろう、もうひとつだけ、もうひとつととまらなくなる。それと同じようだった。

 描けば描くほど、はなを知った。はなを知れば知るほど、自分が知らないということを知った。それはまさに、とり返しのつかない罪悪な好奇心と、それから罪か罰への恐れ、自分をとめようとする良心の叫びを愉快なものと勘違いする愚かさのそのものだった。

 描くだけでは、満足できなくなりつつある。もっと、近づきたい。はなに触れてみたい。

 いや、触れたことがないわけじゃない。しかしそれこそが罪なのかもしれない。触れたことがあるから、触れたくなるのだ。

前回触れたときに、はなが消えてしまいはしなかったから、その美しさが愛らしさが幻ではなかったから、またこうして触れたくなる。安心したくなる。

あの、まるでこの世のものとは思えないほど美しく、そしてかわいい生きものが、自分のそばに実在するのだと、安心したくなる。この手で触れることで、安心したくなる。

 八月も半ばに入ろうという今日、はなの白い肌が赤みを帯びている。別の場所へ描きにいったり、庭でポーズをとってもらったりするうちに、陽に焼けてきたのだ。黒くなることはなくこのまま引いてしまうとはいっていたけれど、「お風呂入るときひりひりする」と悲しげにいってもいた。

 俺ははなの、器のようにして差しだす両手の真ん中につばきの造花をのせた。赤と白を不規則に。そのとき、指先がはなの手に触れた。途端、心臓が大きく跳ねた。「水月?」と声がしてその顔を見たけれど、一度で反応できたかはわからない。

 「水月、顔赤いよ」

 不思議そうな表情で大きな目を下からこちらに向ける姿に胸の奥が苦しくなる。

 「かわいいね」

 「いや、違う」とはなは首を振る。「わたしが赤くなってるんじゃないのよ」

 「はながかわいいからこっちが赤くなる」

 「うるさい」といって目を逸らすのはもう、愛おしさというのが自分にとって凶器になりうるのだということを知るほど、かわいらしい。胸の奥が苦しくてしょうがない。

恋を病と呼ぶのは、もうなにも珍しいことではないけれど、よくいったものだと思う。ある日突然こうも苦しくなったら、誰にともなく命乞いする。

 「はなも赤いよ」といってみると「黙って」と跳ね返ってくる。

 右手のひらに熱を感じてやっと、はなの頬に触れてしまったことを知った。

 「少し……休もうか」

 俺もとうとうおかしくなってきている。このままでは暑さのせいにすればなんでも許されると勘違いしかねない。

暑さのせいでぎゅっとしちゃいました、暑さのせいでキスしちゃいました——そんな狂ったことを本気でやりかねない、いいかねない。

 手を離そうとしたとき、赤と白の花が足元に落ちた。その意味に気がついたのは、右手の甲への感触に気づいてからだ。はなは、まるで猫が擦り寄ってくるように、俺の手に自身の手を重ね、頬をあてた。

 「水月、……の……」

 心臓がうるさくなるのと同時に、自分の頼りない衝動へのブレーキへの不安が募る。

 「ちょっと待って、わかった、俺が悪かった、悪かったからさ、休もう、ね? 休もう」

 「水月の手、……ちょっと冷たい」

 「わかった、大丈夫。そのうち熱くなるから。今のうちに休もう」

 はなはそっと距離を縮めてきた。そのまま、胸のあたりに顔を寄せてくる。

 「ちょっと待って、暑さでおかしい。暑さがおかしい、違う、全部、ええなんて?」

 「水月、最近優しい」

 「は……?」

 しばらく経ってしまってから、そりゃどうも、とでもいってみたらよかったかもしれないと思った。ふざける余裕もない。今感じているのが夏の暑さなのか体の熱さなのかもわからない。

 「水月、優しいから、……甘えて、みたくなる……」

 今甘えてみなきゃだめ?なんて性格の悪い言葉もでてこなかった。

 諦めて、さんさんと降る陽光に汗ばんだ華奢な背に腕を回してみる。なんて小さい体だろうと驚く。ちょっと力を入れれば折れてしまいそうだ。

 「水月……」

 「ん?」

 「なんでもない」

 俺は晴天を仰ぎ、ひとつ深く呼吸した。

 はなの後頭部に手をあてて、たまらず「かわいい」といってみても、黙ってとかうるさいと跳ね返ってくることはなかった。「もうちょっとしたら、飲みもの持ってくるね」とかわいい声がしただけだった。