正方形の素朴な壁かけ時計は、正午を告げて葉月に昼食を持ってこさせた。俺はそのことにしばらく気がつかなかった。自分の中で一段落ついたところで筆を置き、それで気がついた。「おかえり」と葉月はいった。

 「すごい美人」と、彼はカンヴァスの中の少女に目を細めた。

 「こんなのがその辺うろうろしてたら危ないよな」

 「まったくだ」と俺は同調する。

 葉月はこちら側にきて、改めてカンヴァスを覗きこんだ。

 「本当に、いかにも魔女らしい面だ」

 「惜しい人を逃したね」

 「なに」と彼は笑い飛ばした。「最初からかかってもねえよ」

 「そうかな」

 「優しい女には気をつけろよ、こっちはその優しさを、自分にだけ向けられた特別なものだと喜ぶが、そりゃぬか喜びだ。相手は優しいんだ、それくらいのことはなんでもない、世間話みたいなもんなんだよ」

 「俺にとっては、世間話に付き合うのも優しさのうちだけどね。付き合ってやったら、その分なにか返してほしい」

 「なるほど」と葉月は苦笑する。「確かに惜しい奴を逃したよ」と。おまえは彼女にふさわしくないといっているのだ。

 「葉月にだったら奪われてもいいけど」

 「ばか、あいつの方が奪わせてくれねえよ」

 俺は千葉のいとこのことを思いだし、「ところで」といってみた。「葉月は誰かに告白されたとかないの?」

 「は?」まるで心あたりがないという顔だ。

 「友達のいとこが、ある総合高校の卓球部にいる美少年くんに惚れてるんだとさ」

 「なるほど、その総合高校はうちじゃない」

 「いないの、クラスに美少女は」

 「さあな。白いワンピースが似合いそうな、生白い女はいるけど」

 「友達曰く、そのいとこはそれなりにかわいいらしい。かわいい子に見られてる感覚はないの?」

 「さあな。いかんせん俺には魅力がない、かわいい奴は一向俺を見ないよ」

 「おまえがよっぽど鈍感か、本当におまえじゃないか」

 「総合高校ってのがうちなのは確実なのか?」

 「みたいだよ」

 「ふうん……」

 ふと、いつかのはなの言葉が思いだされた。

 「葉月は鏡を見てみるといいかもね、本当に」

 「なんで」

 「自分の置かれた状況を把握するために」

 「はあ……?」

 もしかしたら、千葉のいう通り、そのいとこの思い人は葉月なのかもしれない。そしてそのいとこは、はなと親しいのかもしれない。

 「はなもそういってたじゃない。自分みたいに嫌ってる人ばかりじゃないって」

 「まあ、この未練に満ちた男のそばにいても、そいつは幸せじゃないな」

 「案外、いざ告白されちゃったら一目惚れでもしちゃったり」

 「俺もまた惚れっぽいからな」と葉月は苦く小さく笑った。