「わたし、花の絵って描いたことがなくてね」とわたしは話題を変えた。あんまりにわかりやすくて不恰好だったけれど、水月は「ああ、そうかもね」とやわらかい声で応じてくれた。本当に怒ってはいないのかもしれない。

 「それで、水月に持ってほしいものがあるの」

 「切り花?」

 「あまり立派なものは買えなかったけどね」とわたしは苦笑した。

この頃はどうにも画材にお金がかかっている。けちけちするのは好きではないけれど、今は十円や五円でも差があれば安い方に惹かれてしまう。造花の方が安いのだとばかり思っていたけれど、実際に見てみると生花の方が安かった。お店にもよるのかもしれないけれど。

 わたしはリビングの花瓶から、ちょうど昨日買ったトルコキキョウを持ってきた。

 「ばら?」

 「トルコキキョウって書いてあったよ。わたしも最初ばらかと思った」

 わたしは水月の前に座り、花をごく短く切った。「思い切りがいいね」と水月はちょっと驚いたようにいった。途端に怖くなって、「まずかったかな?」と顔を見あげる。「大丈夫だと思うよ」と彼はいった。

 「その茎はどうするの?」

 「だめでもともと、土に挿してみる。根っこがでる場合もあるんだって」

 「挿し木とか挿し芽ってやつだね」

 「おお、詳しいね。それそれ」

 「うちの男性陣は植物がお好きで」

 「水月は違うの?」

 「庭に花水木があるけど、よそに咲いててもわからない」

 「それは重症だ」と苦笑して、わたしは水月へ切った花を差しだした。「これを手のひらにのせててほしいの」

 水月はそっと花を受けとると、手のひらにのせ、「葉月の方が似合いそうだ」といった。

 「嫌だよ」とわたしは思い切り顔をしかめる。「葉月の絵なんて描くの」

 「そう嫌ってやらないでよ」と水月は静かに苦笑した。

 「嫌いじゃないけどさ……」

 「かわいそうな弟だ」と彼は困ったように笑う。

 「わたしなんかに好かれなくたって死にはしないよ」

 「どうだろうなあ、あの子は繊細だから」

 「気に入らない相手に好かれないだけで傷つくなんて、繊細にもほどがあるよ」

 「かわいいだろう?」

 「さあ、わたしにはわからない」と正直にかぶりを振る。

 「水月と葉月って、確かに似てない」

 「そうかもね」

 「水月には、葉月にない魅力がある」

 水月は嬉しそうに笑った。「よしよし。いいよいいよ、もっといって」と小刻みにうなずく。その嬉しそうに輝く素直そうな目は、まるで犬のそれだ。

 「水月は葉月に劣ってると思ってるの?」

 「そういうわけでもないけど」と水月は静かにいった。「俺はどこか、葉月に依存してるところがあると思う」

 「そうなの?」

 「なんだろうね。葉月のきょうだいであることが、本当に嬉しいんだ」

 「葉月にもそういうところありそうだよね。俺の兄貴すげえんだよ、みたいな。おまえと違って水月は本物だ、おまえは偽物だけど水月は本物だ、みたいな」

 「あ、ちょっとめんどくさいタイプだ」

 「めんどくさいよ、きみの弟は。弱みを見せたいんだか隠したいんだかわからないし。この俺さまに恥かかせやがってみたいに強がってたかと思えば、悲劇の主人公みたいな、憐れな愚かな罪人みたいな顔するし。最初に見たのが俺さま面じゃなければ、もうちょっと素直に同情したかもしれないけど」

 わたしの激しい悪口に、水月は「はなは優しいね」と微笑んだ。体が硬直するのと同時に、やべ、と声がでそうになった。ちょっといいすぎた。

 わたしの心中を見通したように、彼は「いや、嫌味じゃなくて」とつづけた。

 「はなは、ずっと葉月のそばにいてくれたんだ」

 「いたくていたんじゃないよ、やたらと席が隣になるだけ」

 「はなは葉月の話も聞いてくれたんだね」

 ああ、そういえばそうだ。興味のない話や好きでもない人の話なんて、普段は聞き流すだけなのに。まともに聞いて、まともに腹を立てた。

 わたしは恥ずかしくなって、自分の手元に目を落とした。「あいつが喋るから、放っておくのも人のすることじゃないと思って……」

 「はな」と優しい声に呼ばれて顔をあげると、水月は「ぎゅってしていい?」となんでもないようにいった。なんで、というより先に、体が熱くなった。胸やおなかや、腕が熱い。水月の腕の中にいるのだと気づいてしまえば、さらに熱くなった。

 「な、に……急に……」

 「はな」

 「だから……、なに」

 「大好き」

 どくん、と心臓が跳ねた。体が燃えるようだ。ばかじゃないの、とも、急になんなの、とも、声がでない。

 「葉月に、」となんとか声を絞りだす。「わかりやすい嫌がらせ、しなかったから……?」

 「優しくて、負けず嫌いで繊細だから」

 ふっと緊張が解けた。「なにそれ」と苦笑する。「あいつに似てるっていいたいの?」

 「どうだろうね」

 最低、と茶化すことはできなかった。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、寂しくなってしまった。

 「ブラコンめ。……ちゃんと、」

 ちゃんと……。

 「……わたしを……見てよ……」

 水月の背中に腕を回して、お願いだからと心の底でつづける。優しくて負けず嫌いで、繊細な……わたしの大好きな、尊敬できる人。

 お願いだから、わたしを見て……。